FACT OR FICTION ? 
2005 / 07 / 02 
「母は、強い」

道の谷亮子選手が妊娠を発表し、「母になって金」を目指すと力強くコメントした。

こういったニュースを聞くたびに、私はある偉大な女性アスリートを思い出す。オーストリアが生んだ世界一のアルペンスキーヤーにして、強き母親でもあった、ウルリケ・マイヤー(写真)である。


リ」の愛称で親しまれたウルリケ・マイヤーは、22歳のときカルガリー五輪(88年)で入賞し、頭角を現した。翌89年の世界選手権(ヴェイル)のスーパーGで金メダルに輝き、初めて世界のタイトルを獲得。このとき、レース後のドーピング検査で、実は妊娠3ヶ月であったことが発覚したのである。

独身だったことなどもあって物議を醸しつつ出産後、91年の世界選手権(ザールバッハ)で復帰。ウルリケの連覇を予想する声など殆ど無かったが、得意のスーパーGで、1歳の娘・メラニーちゃんの待つゴールに誰よりも速く飛び込んだのは、ウルリケだった。

このときのインタビューでのウルリケの言葉は、世界中のファンをしびれさせた。「急いで降りてきました。だってこの娘がゴールで待っていたから――」。

ワールドカップでは1勝もしたことが無かったにもかかわらず、母親パワーで世界選手権というビッグレースを連覇。ウルリケ・マイヤーの名は、「母は強し」を強烈に印象付けたシングルマザー・アスリートとして、世界に知られるようになった。

れ以降ウルリケは、娘が待つゴールに誰よりも速く降りて来る「スーパーマム」として名声を馳せる。93年にはワールドカップで3勝をマーク。誰もが認める世界No.1のスキーヤーとなった。

フィニッシュラインを越えるといつも、すぐさまゴールエリアで待っている娘のメラニーちゃんのところに飛んでいった。いとおしそうに娘を抱きかかえる姿が感動を呼び、多くの母親にも勇気を与えた。当時ワールドカップを転戦していたレーサーのなかで、ただ一人の母親でもあった。

リレハンメル五輪を2月に控えた94年に入ると、ますます調子を上げた。1月21日にはワールドカップ(マリボール)の大回転で優勝。上り調子のまま、リレハンメル五輪開幕の2週間前、運命の94年1月29日を迎える。

の日、ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヘンで行われたワールドカップ。悪天候のため、レースは3度も延期され、再スケジューリングが繰り返された。彼女の得意とするスーパーGは、中止になった。

ワールドカップ総合優勝を親友のフレニ・シュナイダー(スイス)と争っていたウルリケは、表彰台はおろか10位以内にも入ったことがない苦手なダウンヒルで、ほんの少しでもポイントを稼ぐことにした。今から思えばあまりにも不運が重なったこのレース、彼女はゴールに姿を見せることはできなかった。

滑りは順調だった。しかし最後のカーブの直前、時速104キロものスピードで突然バランスを失った。転倒し、凍って硬くなっていた雪面でヘルメットが脱げ、左カーブの外側に設置されていた速度計測器に激突した。計測器には、干し草入りの袋が巻いてあるだけだった。首の骨が折れ、3時間後に死亡を宣告された。

ウルリケは、このシーズンを最後に引退して結婚し、母親業に専念するつもりだった。急遽のレースとなったこの日はメラニーちゃんはゴールに居なかったが、駆けつけていた婚約者がウルリケを待っていた。

ルリケの事故死は、ヨーロッパだけでなく世界中に衝撃を与えた。日本のスポーツニュースでも、事故の瞬間の映像とともに大きく報道された。オーストリアでは国葬級の葬儀が営まれ、アルペンの花形であるダウンヒルをやめさせるスキーヤーの親が続出した。

私自身も、ウルリケの大ファンだった。彼女が転倒して計測器に激突するシーンもVTRで何度か見たが、最近までこのレースはスーパーGだと思っていたほど急なカーブだった。ウルリケ自身もレース前のインスペクションで、「とても危険なコースだと思う」と漏らしたという。高速カーブの外側に最高速度計測器を設置して起きた事故だったにもかかわらず、FIS(国際スキー連盟)は「我々には責任はない」と公言し、世間の怒りを買った。

奇しくも同じ94年、F1サンマリノGPで、ローランド・ラッツェンバーガーとアイルトン・セナの事故死が立て続けに起きたが、ウルリケの事故で安全認識がもっと改善されていたら、あるいは…。

ポーツ界にとって忘れてはいけない悲劇の年、1994年から10年以上が過ぎた。

マラソンのカトリン・ドーレや、走り幅跳びのハイケ・ドレクスラーなど、我々は何人も強い母親を観てきた。だが私は、マリオン・ジョーンズ選手がアテネ五輪の前に妊娠・出産を発表したときも、そして今回の谷選手の会見のときも、やはりウルリケのことを真っ先に思い出した。

「Motherhood(母であること)」は、アスリートを立ち止まらせるどころか、さらに強くする。階級併合など幾分懸念もあるが、谷選手なら「母で金」も達成できるに違いない。生前、「母親になってからも何故レースを続けるのか」と訊かれたウルリケは、照れたように笑いながら、こう答えている。

「この小さなメラニーこそが、私がレースを続けるモチベーションです――」。



 ▽ウルリケ・マイヤー (Ulrike Maier、1967-1994)
 世界選手権 金2、銀1
 ワールドカップ 5勝
 ワールドカップ表彰台 通算20回
 カルガリー五輪(88年)大回転6位
 アルベールビル五輪(92年)大回転4位、スーパーG5位
 94年1月、ガルミッシュ・パルテンキルヘンでレース中に事故死
 享年26歳

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