2006 / 06 / 27
  歴史に残る、伝説のPK戦

IFAワールドカップ(W杯)ドイツ大会も、6月24日から決勝トーナメントが始まった。ご存知のとおり、決勝トーナメントには「引き分け」はない。延長でも決着がつかなければ、PK戦に持ち込まれる。

W杯で初めてPK戦が導入されたのは、82年スペイン大会。準決勝で西ドイツがフランスを破った一戦が、PK戦の第1号だ。以来、W杯では印象に残るPK戦が幾つもあった。94年米国大会決勝でのロベルト・バッジオ(イタリア)の失敗も、記憶に新しい。前回の日韓大会では、韓国が歴史的なベスト4進出をPK戦で決める劇的なシーンがあった。今回のドイツ大会でも、記憶に残るドラマが待っているかも知れない。

ころで、日本のサッカーファンの中には、最も心に残るPK戦として、「伝説のPK戦」と呼ばれるあの名場面を挙げる方も多いのではないだろうか。昭和61年の全国高校サッカー選手権大会、国立競技場でのプレーを賭けた準々決勝、室蘭大谷(北海道)と宇都宮学園(栃木)の一戦だ。

超高校級と呼ばれた財前恵一(現J2札幌のコーチ)擁する室蘭大谷と、後に日本代表となった黒崎久志らがいる宇都宮学園との対戦とあって、試合前から注目を集めた一戦でもあった。

規定の前後半80分を戦い終え、0対0。PK戦にもつれこんだのだが、このPK戦が誰も予想し得ない死闘となった。両チームとも、全く失敗しないのだ。5人ずつ成功させてサドンデスに入っても、なんと共に11人目まで全員が連続成功。一巡してさらに3人ずつ、つまり両チーム14本ずつのPKがひとつも失敗せず、決着がつかない大激戦となった。

宇都宮学園の15本目、守りの要だった根岸誠一(当時2年生、のちに鹿島に入団)のキックがキーパーに阻まれ、15−14でようやく決着。このとき泣き崩れた根岸選手ほど、私の脳裏から離れないスポーツ選手は未だにいない。

計的に見ると、W杯をはじめトップレベルの大会では、1回のPKの成功率は約80%である。だが実際には、心理的要因でこの確率は大きく変動し、それがドラマを生む。

過去のW杯でのPK戦でも、プレッシャーが大きい後から蹴る選手ほど成功率が低い。5人目のキッカーは、1人目に比べると成功率が半分近くにまで下がっている。バッジオが失敗したときも、彼は5人目だった。

このように、運とプレッシャーに翻弄される選手達を観るのは、忍び無くもある。だが、こういったドラマに期待することも、世界最大の大会・W杯の楽しみだったりするのだ。

なみに、PK戦の世界最長記録は、昨年1月にアフリカのナミビアで行われたナミビアカップ1回戦、KKパレス対シビックス戦。サドンデスの末、シビックスの24本目のPKが失敗し、17−16で決着がついた。

ただし、小さな大会も含めれば、このような死闘は無数にありそうだ。イギリスで行われた10歳以下のちびっこ大会では、33本ずつ蹴ってやっと決着がついたPK戦もあったという。成功したのは、両チーム合わせて3本だけだったそうだが・・・。

    稲見純也 JunYa Inami

<この記事は、06年6月20日発売『週刊漫画サンデー』に掲載された内容です>


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