2006 / 12 / 03
  横綱審議委員会こそ、審議を受けるべきだ

綱審議委員会の内館牧子氏は、11月27日の同委員会で、横綱・朝青龍のまわしを叩く動作が「みっともない」という、実にくだらない感想を述べた。「くだらない」というのは私の感想だが、内館氏ご本人も「みっともない」という感想を述べたのだから、許してもらえるだろう。

九州場所8日目に、朝青龍が「けたぐり」で小結・稀勢の里(前の場所で朝青龍に土をつけている)に勝ったことについても、「けたぐりという言葉自体、品がないわね」という、史上稀にみるナンセンスさを誇る感想を述べている。「ナンセンス」というのは私の感想だが、内館氏ご本人も「品がない」という感想を述べたのだから、許してもらえるに違いない。

綱審議委員会によれば、「けたぐり」は横綱がやってはいけない決まり手なのだそうだ。出席した8人の委員全員が口をそろえてそう言ったのだから、間違いない。横綱は「受けて立つ」相撲を取らなくてはならないのだと言う。だが、私には理解できない。

けたぐりは確かに奇襲と言えるかも知れない。だが、けたぐりを仕掛けるほうにも、失敗すれば大きく押し込まれ体勢を悪くするという実に大きな「リスク」がある。つまり、けたぐりは「卑怯な」戦法でも何でもなく、リスクとのトレードオフを考慮した上で仕掛ける作戦のひとつに過ぎない。その作戦に対する準備を怠り、対応できなかった稀勢の里が負けた、強い横綱の前に敗れた、それだけだ。

師匠である鳴戸親方は稀勢の里に、「お前に恐れをなして横綱は逃げた、胸を張れ」と声を掛けたそうだ。しかし、相撲のひとつの立派な決まり手で敗れた教え子に師匠が掛ける声として、果たして正しい言葉なのだろうか。

館氏をはじめとする横綱審議委員会は、「横綱は特別な地位だから、受けて立つような相撲を取らなくてはならない」と言う。たしかに「横綱」は、他のスポーツにはない特別な存在だとは言えるかも知れない。だが、だからといって取り口や作戦を限定すべきであるほど、横綱の地位が他のスポーツのチャンピオンに比して特別に重いとは、私は思っていない。

1970年に玉の海が第51代横綱に昇進して以来、第68代の朝青龍まで、この36年間で実に18人の横綱が誕生している。つまり、2年にひとりのペースで横綱は生まれているのだ。多くても4年にひとりしか生まれない、連覇などもあれば8年とか12年とかにひとりしか生まれないオリンピックの金メダリストのほうが、はるかに「特別な」存在と言える。オリンピック3連覇中の選手だからって、「受けて立つような作戦をとれ」と注文をつけるひとが居るだろうか?

それでも「相撲は神事だから」とか「横綱は神に相当する地位だから」などと、どうしても横綱がとるべき作戦を制限したいのなら、もっとハッキリ制限してはどうなのか。「受けて立つために、立ち合いでは仕切り線から前に出てはいけない」とでも言うが良い。「相手力士より低く立ち合ってはいけない」とでも言うが良い。「必ず相手の得意な四つで戦わなくてはいけない」とでも言うが良い。

そんな決まりごとを作って、それでも勝てる強い横綱の出現を、一生待ちつづけるが良かろう。そんな勇気もないクセに、強い横綱の相撲に難癖をつけるべきではない。

京で行われる場所の前には「稽古総見」とやらを開き、競走前のパドックさながらに、元力士でもスポーツ医学の専門家でもないのに、力士の調整具合などに口うるさく注文を吹っかける横綱審議委員会。だいたい、この稽古総見からも、横綱審議委員会の存在意義の無さが感じ取られる。

今年の初場所前の稽古総見では、人気急上昇でテレビ出演などが多くなってきていた琴欧州が横綱に連続して倒された。横綱審議委員会は、たったそれだけで、「本職を忘れちゃいけない」などとさんざんバッシングを浴びせた。だがこの初場所、琴欧州は13日目まで朝青龍や栃東らと熾烈な優勝争いを演じた。

今年の秋場所前の稽古総見でも、把瑠都が朝青龍を倒し、たったそれだけで大きな注目を浴びたが、把瑠都は結局振るわず、4勝7敗で途中休場した。

過去にも、横綱審議委員会から稽古不足とさんざんダメだしを浴びせられたその場所に、朝青龍が圧倒的な強さで優勝したりなど、そもそも横綱審議委員会が総見で口にするコメントなど誰も参考になんてしていないし、信用もしていないのだ。

倒的な強さで優勝した朝青龍が、明くる場所前の稽古総見を病欠しただけでバッシングしたこともある。委員会や稽古総見にいつも委員全員が揃わないような団体が、そんな苦言を呈する資格があるのだろうか。あげくの果てには、格闘家に転身した曙が負けたときにまで、「元横綱の地位を取り上げるべきだ」などと口を突っ込む委員もいた。

そんな横綱審議委員会を他の誰かが審議したら、一体どういう審議結果が出るのだろう。まあ当然、誰が審議しても「即解体」となるのではなかろうか。

そもそも、横綱昇進の可否なんて、過去数場所や直前場所の白星数、優勝の数、在位している横綱の状況などから、公正かつ一意に決まるような条件を明文化しておくべきである。そうすれば、横綱審議委員会などと言う無意味な委員会は必要なくなる。こんな団体がフィーリングで決めているから、横綱昇進の判断に議論が起こるのである。

別に古くからの伝統でもなんでもない、単なる相撲好きのこんな集まり、解体したって何の問題もなかろう。相撲の品位を落としているこの団体こそ、その「品格」を問われるべきである。

    稲見純也 JunYa Inami


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