2007 / 07 / 24
  サッカーを支配する「結果論」

ポーツにおいて、「結果論」が支配することは稀ではない。それが悪いことだとも、必ずしも思わない。なぜなら、良い結果を出すことこそが、勝負の目的であるからだ。

だが、言うまでもなく、結果論ばかりを語っていては、ときに致命的な危険も生む。そして、そんな最も結果論を語るべきではないケースで、結果論が支配しているのが、サッカーの日本フル代表だ。

ル代表が、マトモに臨んでくるマトモな相手と戦える機会は、そうはない。だからこそ、そんな機会は結果ではなくプロセスを重視するべきなのだ。ところが、である。その数少ない機会だった、アジアカップ準々決勝のオーストラリア戦。一人少ない相手を延長戦まで使っても攻め切れず、まんまとPK戦まで粘られ、GK川口の「神セーブ」のおかげで一本差という辛勝をモノにした日本代表に、甘口な言葉が飛び交った。

まず、勝利を伝える日本のメディア。いろいろあるのだが、最も脱力を誘ったのが、「オシムサッカー花開く」という見出しだ。もちろん、PK戦はクジ引きではなく、勝負のひとつではあるのだが、もし川口の守護神ぶりがなくPK戦で負けていたら、こんな見出しが打てたのか。ジーコが制したアジアカップを、オシムがベスト8で帰ってきたとしたら、「花開く」と言えたのか?

だいたい、このゲームをもってして、「オシムとジーコの違いを見せた」と評する向きが、理解できない。W杯で日本がオーストリアに敗れたときと違うのは、日本の指揮官だけではない。相手の指揮官も違えば、気象条件も違えば、何より舞台が違う。初体験の猛暑で引きに引いた(しかも途中から10人になった)相手に対して、自由にボールを回せただけではないか。そもそも、W杯でのオーストラリア戦だって、結果は1−3でも、「内容は紙一重」(オーストラリアFW・キューエル)だった。

けなく思うのは、他ならぬオシム自身も、である。会見では微笑みを見せ、「今日日本がやった以上のことがどれだけできるのか、教えて欲しい」と言い放った。もしPK戦で負けていたら、そんな態度でいられたのか。今までの傾向から言えば、どうせ、インタビュアーに八つ当たりするか、言い訳を怒鳴り散らすのがオチだった筈だ。

だいたい、オシムの言い分は意味が分からない。オシムは、「日本はベストのパフォーマンスを出した」と言っているのだ。つまり、オシムジャパンとやらは、ベストの状態でも一人少ない相手から1点も取れないのである。一度リードされたら終わりのチームなのだ。そして指揮官自身が、それで良しとしているのだ。

勝って兜の緒を締めよ、とはよく言ったものだが、良い戦いをしたのなら負けたとしても選手を褒め、悪い戦いなら勝ったとしても選手を諌める、それこそが良い指揮官と言えるだろう。いまのところ、オシム監督にはそれがあまり見受けられないように思う。負ければ八つ当たりか言い訳、勝てば官軍である(それがサッカーの監督だと言われれば、それまでだが…)。

選手のコメントにも、残念に思うものはあった。DF中澤は試合後、「はしゃいでいては監督に怒られる」と語った。この内容で、監督に怒られないのなら、彼ははしゃいだのか…? 大会中、それもまだ準々決勝で、そんな緩さで良いのか?

れが、目標とするW杯であるなら、それも良かろう。だが、自分達自身が「目標ではない」として通過点として位置づけている大会で、PK戦まで粘ろうというオーストラリアに完璧なサッカーをさせてしまったゲームで、「ベスト」はないだろうし、はしゃぐ理由もないだろう。

「勝負に“たら・れば”はない」という言葉、昔から私は大嫌いである。オーストラリアに出された2つのシュミレーション判定はともかく、一発退場の判定はやはり厳しかった。日本代表の1点も、相手DFの幸運なクリアミス。この「たら・れば」を無視していては、運良くアジアカップを制しながらドイツで負けた、ジーコのときと同じになってしまう。

結果論のメディア、結果論の指揮官、結果論の選手に、結果論の協会。このままでは、今回アジアを制したとしても、目標とするW杯では泣きを見ることになる。もっとも、「同じような悲劇を繰り返したほうが、盛り上がる」という深い読みなのかも知れないが…?

    稲見純也 JunYa Inami


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