2007 / 08 / 21
  野球は考えてこそ面白い

ッカーやバスケなど、スポーツチームの監督のことを英語で「ヘッドコーチ」と呼ぶ。なのに、野球の監督だけは「マネージャー」。なぜ、野球だけ違うのか。

だが、その質問自体が間違っている。野球では、ピッチャーやキャッチャーの他にマネージャーという「ポジション」があって、それを日本人が勝手に「監督」と訳しているのだと考えたほうが良い。それが証拠に、他の競技とは違い、野球の監督だけユニフォームを着ているではないか!

それだけ野球の監督は、実に特異な地位である。他の競技ではあり得ないほど、選手のプレー選択に口を出す。サッカーでは、監督は全体的な戦略を指示するだけだ。プレーの選択は、選手自身がその都度決める。どのスペースに誰が走るか、ゴールの左と右のどちらを狙ってシュートを打つか、指揮官の指示をいちいち待っている暇はない。ラグビーに至っては、監督はベンチにいない。

ころが野球では、監督が何から何まで口を出し、選手はそれに従う。バント、エンドラン、狙う球種、果てはどちらの方向に打つかまで、全て指示される。ほとんど監督がプレー選択をしているのだ。だから、ユニフォームを着ていても違和感がない。 レベルが高いほど、この傾向は強くなる。高校野球では、強豪校ほどサインの数も種類も多い。トップのレベルで野球をやってきた選手は、自分の考えで野球をやった経験など、ほとんど無いのではないだろうか?

だが、そんなことでは真の実力は上がらないし、何より楽しくプレーできない。’03年夏の甲子園では、必由館高(熊本)の監督が、全選手に「バントの構えからバットを引いてから打て」という指示を出したことがあった。初戦で敗退したのだが、晴れの甲子園で、自らの打法で思い切り打ちたかった選手も多かったのでは、と思うと残念でもあった。

方で、高校野球でも、選手自身に判断を任せる指導者がいない訳ではない。’91年の夏、旭川東栄高(北北海道)のベテラン監督が、スタメン、打順、作戦、選手交代、全てを選手達に相談させ決めさせるという、実に実験的かつ画期的な指導をした。優勝候補などには一切挙げられず、下馬評が低かった旭川東栄高だったが、この年、なんと地区大会の決勝戦まで勝ち進んだのだ!

確かに、このような指導は難しいに違いない。だが、不可能ではないのである。選手達に「本当に野球をさせる」指導であり、教育の一環にふさわしい、自主性を育む指導ではあるまいか。

このような指導を当然していない東京の某有名強豪校では数年前、一死満塁、ボールカウント2−3の場面で、とんでもないボール球に飛びついてスクイズした打者がいた(見逃せば押し出しになるので、ボール球に飛びつく必要など皆無であることは言うまでもない)。

このように「考える野球」ができない選手を育て、社会でも指示待ち族にしかなれない操り人形のような若者を増やす今の指導方針を、高校球界は考え直してはどうだろう。

    稲見純也 JunYa Inami

<この記事は、7月24日発売『週刊漫画サンデー』に掲載されたものです>


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