2007 / 10 / 09
  競技性を重視する柔道の行く末

道では、竹刀で相手の面や胴を打っても、一本を取れるとは限らない。「充実した気勢」で「刃筋正しく打突」し、「残心(反撃に備えた心構え)」が認められなければ、一本とはならないと規定されているからだ。このような曖昧なルールを最も嫌うのが、欧米人。だから剣道は、国際化の道を捨てている。

一方、現在の柔道(いわゆる講道館柔道)は、戦場で役立つ「柔術」を、競技性や国際化を考慮して修正したものだ。それでも欧米では「勝敗の判定基準が曖昧だ」と不評で、鍛錬のための競技人口は多くても、観戦スポーツとしての人気は極めて低い。

9月13日から4日間ブラジルで行われた世界柔道も、観客席はガラガラ。場内の看板広告はほぼ全て日本企業で、漢字や片仮名の広告が踊った。いかに日本人以外は観ていないかが分かる。

んな情勢だから、国際柔道連盟(IJF)は、素人目に勝敗が分かり易くなるよう判定の傾向を変えてきた。技を仕掛けて相手を「死に体」にしても、畳に背中をつけられず、捨て身の相手に体を返されると、「返し技を掛けられた」と判定されるようになっている。柔道家の古賀稔彦氏曰く、ここ数年の流れだと言う。

そんな世界の趨勢に戸惑っているのが、日本。世界柔道では鈴木桂治(百`級)が2回戦で、大外刈りで相手を死に体にしながら一本と判定されず、粘った相手の返し技に敗れた。斉藤仁監督らは「こんなの柔道じゃねえ」と判定に憤りを見せたが、世界で勝つには世界に合わせるべきなのは明白。日本柔道連盟も「指導方針を変える」としており、北京五輪の前に課題が見えたことは、むしろ幸運だった。

だ残念なことに、日本柔道界はこれまで、「死に体となった時点で勝負アリ」といった不文律を、ただ「それが柔道だ」と言い張るばかりだった。何故そうなのかという釈明や、欧米人向けに規定を明文化するなどの努力を、十分にしてきたとは言い難い。

死に体で勝負アリとするのは、安全を確保する柔道の優れた一面である。相手を潰すことを防ぐ相撲の「かばい手」と同じだ。死に体となった選手が受け身を取らず捨て身で粘ったり、そんな選手にトドメを刺すのが当たり前になってしまうと、柔道は大怪我が頻発する危険な競技になる。

奇しくも世界柔道開幕のわずか4日前、山下泰裕氏がIJFの理事に落選し、執行部から日本人が消えた。IJFは、柔道人気獲得のため日本の伝統を捨て、競技性を高める道を採る姿勢を明らかにしたのだ。だがそれは、日本が受け継いできた柔道の良さをも捨てることを意味する。

のIJF規定では、「一本」を「相手を制し背が畳につくように投げた場合」と曖昧に定義している。欧米向けに勝敗を分かり易くするためなら、この定義をより細かく明確にし、死に体の定義も併せて明文化するといった道もあった。だが日本柔道はそれを主張できなかった。今からでも遅くはあるまい。競技性と引き換えに安全性を失えば、柔道家たちの体が今後ひたすら心配である。

    稲見純也 JunYa Inami

<この記事は、10月02日発売『週刊漫画サンデー』に掲載されたものです>


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