2007 / 12 / 18
  日本人のスポーツ・リテラシー向上を願って

戒の意も込めて言うので、生意気な弁を許して欲しいのだが、今年2007年ほど、日本のスポーツ・ジャーナリズムが評判を落とした年もないのではないかと思う。

春は高校野球の特待生問題について、スポーツ・ジャーナリストたちが、偉そうにテレビ番組などに出演し、アレヤコレヤと意見を述べたてて高校野球連盟を批判したりした。だが、世間一般からみれば、「お前ら、知っていたクセに今頃になってナニ偉そうにグダグダ言ってんだ」と感じたに違いあるまい。

大相撲・時津風部屋で起きた「リンチ死亡疑惑」という大問題にしてもそうだ。「こんな大事な問題になぜ迅速に対応しないのか」などと、スポーツ・ジャーナリスト達はこぞって相撲協会を責めた。しかし、自分たちだって、こんな大事な問題を放っておいて、テレビで朝青龍の「サッカー騒動」などというくだらない問題で必死に朝青龍をバッシングしていたではないか!

亀田兄弟の騒動についてもそう。「批判なんて気にするな、拳で実力を証明しろ」などと、テレビ局に乗っかって、亀田家を持ち上げてきた某スポーツ・ジャーナリストが、亀田次男の反則問題でテレビ出演しまくり、世論の声に合わせるように亀田一家を痛烈に批判。挙句の果てには、「彼らを甘やかしたメディアが悪い」。…私は恥ずかしさのあまり、画面に映る彼の顔を正視できなかった。

本のスポーツ・ジャーナリズム(私を含めて、と言ってよいのかどうか分からないが)は、極めて未成熟な分野であると思う。何でもかんでも「地域密着」とばかり言ったり、世論によって自らの理念を変えたり、アスリートたちを守るよりも自分の利益を守ること(要は自分がずっとテレビ局から呼んでもらえるようにすること)に必死だ。

そして致命的なことに、スポーツを観る眼すら疑いたくなることも多かった。「バリー・ボンズがステロイドを使ったとしても、ボールにバットを当てる技術が向上するわけじゃない(だから問題ない)」と主張したトンチンカンなジャーナリストは、信じ難いが複数人いた(なお、アメリカにも、このようにボンズを擁護するスポーツ・ジャーナリストは、私が知るだけで何人か居る)。

そんな彼らの醜い姿が、今年ほど露呈した年はない。

本的な問題として、我々ファンを含めた日本人の「スポーツを読み解く力」、いわばスポーツ・リテラシーの向上が、まだまだ必要なのではないだろうか。

スポーツ・リテラシーがないと、斎藤佑樹の甲子園での4連投という肩の酷使も、批判の対象にならない。若い力士が命が危険にさらされるほどのしごきを受けていても、外国人横綱のバッシングが優先されてしまう。こんな有様では、我々の宝とも言えるアスリートたちを、守ることができない。

日本のスポーツ・ジャーナリズム、そして私が言う台詞にも、耳は貸しても鵜呑みにはしないことだ。それこそが、皆様のスポーツ・リテラシーを維持・向上させることにつながるだろう。

    稲見純也 JunYa Inami


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