2008 / 02 / 15
  東京マラソン実現、結果も大事だが「過程」こそ大事

月17日の日曜日。約3万人のランナーが都心を一斉に駆け抜ける、第2回東京マラソンが開催される。経済効果も含め、「東京の新しいお祭り」などの評価も高いこの東京マラソンだが、このイベントの実現の仕方は、もっと批判されても良いと思う。

世界には、ニューヨークシティマラソンやロンドンマラソンといった、大都市で開催される大規模な市民開放型マラソン大会がある。東京マラソンも、それらをお手本にしたものだ。

しかし、東京マラソンはこれらの「先輩」に追いつこうとするあまり(あるいは石原都知事が選挙前に大きな花火を打ち上げようとしたあまり)、「東京での大規模マラソンの実現」を急ぎすぎた感が否めない。

京マラソンは、第1回から3万人ものランナーが参加する規模に設定した。しかも、東京の観光名所を巡らせるため、都心のど真ん中にコースを設定。7時間にわたる交通封鎖などで、いきなり周囲の住民や商店街に影響を与えるような運営にしたのだ。

一方、ニューヨークシティマラソンは、東京マラソンのようにニューヨークのど真ん中がコースになっているワケではない。ブロードウェイもエンパイアステートビルも走らない。マンハッタンの東端を謙虚に北上するコース設定になっている。したがって、東京マラソンの規模での大都市封鎖は起こらない。

観光名所を走るという点では、ロンドンマラソンは東京マラソンと似ている。ロンドンマラソンでは、バッキンガム宮殿やロンドン橋がコースに現れる。しかし、ロンドンマラソンのコースは大部分がテムズ川の川沿いコース。一般市民がコースを横断する必要があまり生じないようになっており、それほどの混乱がない。

そんなロンドンマラソンでさえ、第1回は7千人ほどのランナーが参加する中規模レースとして始まった。ニューヨークシティマラソンにいたっては、最初はわずか数十人の規模だった。年々実績を蓄積し、市民の支持を得ながら、ようやく数万人規模のレースに成長したのだ。いや、そうして地道に歴史を積み上げたからこそ、権威と尊敬を集めるビッグイベントになったのではあるまいか。

れを東京マラソンは、第1回からいきなり東京のど真ん中を走るコース設定にし、いきなり3万人を走らせた。混乱が無かったから良かったという結果論で片付けるべき問題ではない。しかも、例年2月の第3日曜日に開催されていた青梅マラソンと同日に開催日を設定し、今年は青梅マラソンの開催日を事実上前倒しにさせてしまった。その結果、今年の青梅マラソンは雪で開催中止となってしまうケチまでついた。

こうした指摘を昨年したところ、一部の参加ランナーの方々から「大きな混乱は無かったのだから難癖をつけるな」といった反論をたくさん頂戴し、ガッカリさせられた。近隣住民に影響を与えない大イベントはあり得ないが、影響を与え得るのだという謙虚さや感謝の気持ちこそ、ランナーには必要なはずだ(ほとんどの参加ランナーの皆様はご承知と思いますが)。

いきなり大規模にしたことで、夥しいゴミや立小便などの問題が大きく報道され、ランナーのマナーの悪さも目立ってしまった。市民マラソンの存在意義が大きいのは勿論だが、やり方を間違うことで、大都市マラソンが「悪者」扱いされ、ランナーに対する風当たりが強くなってしまうことは、あってはならないのだが…。

    稲見純也 JunYa Inami


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