2002/01〜02


2002/02/25 masterpiece
本という小さな島国から来た女の子の、あのときの演技がずっと忘れられないんだよ、と言われるような演技をしたいんです…

フィギュアスケートの採点問題に揺れたソルトレークであるが、この問題は主観競技という性格上、避けられない。主観競技を否定するひともいるが、それはこの「競技」を「競争」としか見ていないからだ。

コンピュータでランダムに審判を選ぶなどと、その場しのぎの適当なことをほざいてはいけない。審査員+観客の点で採点する「紅白歌合戦方式」のほうがよっぽど適切と思われる。素晴らしい演技には、観衆が一番に答えるからだ。

1984年のサラエボ五輪での、トービル&ディーン(英)のアイスダンス「ボレロ」の演技は、 夏・冬通じて、五輪史上もっとも強烈に心に残る名パフォーマンスと言われている。ラベルの「ボレロ」の音楽にあわせ演じた「かなわぬ恋に身を焦がし火山の噴火口に身投げする物語」。全ての観衆の主観を唸らせた彼らの演技に、芸術点で9人の審判全員が6点満点を出した。五輪フィギュア史上、あとにも先にもない、伝説の瞬間である。この名シーンを知るものは、主観競技を否定はしないだろう。

それは村主章枝も同じである。

フィギュアスケートの世界では、人々の心に残るような名演技を「Masterpiece」と呼ぶ。絵画などの最高傑作のことだ。彼女が本当に目指すものは、メダルでも順位でもない。Masterpiece、それだけなのだ。冒頭の彼女の言葉がそれを物語っている。

五輪はそのための舞台、いわばキャンバスにしかすぎない。彼らはアスリートである前に、アーチストなのである。




2002/02/15 悲願の金メダル
ン・ジャンセンもウォザースプーンも転倒した。しかし五輪に魔物が棲むわけではない。プレッシャーが彼らのミリ単位の動きを狂わせるのだ。

しかし、本当に魔物に魅入られたとしか思えない大国がある。中国だ。まだ冬の五輪で金メダルを取っていない。今までに何度もチャンスがあった。チャンスというよりは、金メダル最有力候補といわれた選手たちが、呪われたかのように、その全てのチャンスを逸してきた歴史がある。

つて葉喬波というスピードスケーターに世界一のチャンスがあった。しかしアルベールビルの女子500m、自分の実力を出し切れずボニーブレアに敗れた。

長野の女子ショートトラック3000mリレー。終始リードしていた中国が、ラスト2周でまさかのタッチミス。韓国に逆転を許した。

女子の個人でも楊陽が銀メダル3つ、優勝候補と言われた楊揚は1000m決勝で転倒、500m準決勝で失格に見舞われた。

そして迎えたショートトラック男子1000m。李佳軍がトップでゴールした瞬間、誰もが中国史上初の金を疑わなかった。しかし、最後に身を投げ出してゴールした韓国の金東聖のスケートの刃先だけが、わずかに先にゴールしていたことが写真判定で判明した。

同じく長野のフリースタイルスキー女子エアリアル。当時の世界最強を誇った季暁鴎が、決勝直前の公式練習中に転倒し負傷、欠場を余儀なくされた。

きわめつけはリレハンメル。ショートトラック女子3000mリレーで最後の27周目の、まさに最終コーナーまで独走していた中国のエース王春麗が、無接触でまさかの転倒。アリーナ中が凍りついた。

して14日行われたソルトレーク女子1500m決勝。楊陽も楊揚も決勝に進んだが、韓国の新鋭15歳、高基玄が金をさらった。

まだまだ女子ショートトラックは3つ決勝がある。男子は李佳軍が金東聖に雪辱を誓い、4つの種目で金を狙う。エアリアルには長野の銀メダリスト徐が金を狙っている。

この五輪で金が取れないようなら、本当に中国は呪われているのかも知れない。




2002/02/11 一秒でも
年に一度開催される、アルペンスキーの世界選手権。

1989年、米ベイル大会の女子スーパーG(スーパー大回転)で、オーストリアのウルリケ・マイヤーが金メダルを獲得した。その直後のドーピング検査で、実は彼女は妊娠3ヶ月であったことが判明。翌シーズンは出産&育児のため完全休養となった。

休養明けの1991年、世界選手権(ザールバッハ、オーストリア)に、母親となったウルリケは参戦した。一年間の完全休養を感じさせない、神がかり的な滑りを見せ、誰もが予想しなかったスーパーGの連覇を果たしてみせたのである。

ゴール後、彼女はインタビューに笑顔でこう答えた。
「急いで降りてきました。一秒でも早く、ゴールで待つ娘の顔が見たかったから」

年後、1994年のガルミッシュ・パルテンキルヘン(ドイツ)でのW杯スーパーG。ウルリケは左に厳しく曲がるカーブを曲がりきれず転倒した。その先には中間計時用の計測器が設置されていた。激突した彼女は首の骨を折り、まもなく帰らぬ人となった。27歳であった。完全に運営側の安全管理ミスであったが、彼女はその犠牲となってしまったのである。彼女が笑顔でインタビューに答えるはずだった、リレハンメル五輪の1ヶ月前の出来事であった。

このときも、4歳に成長していた娘はゴールで母親を待っていたのだろうか。


の事故から6年経った今シーズン、フランスのレギーネ・カバニューという偉大なる女性アスリートが、トレーニング中の事故で死亡した。彼女もまた、ソルトレークの女子スーパーGの大本命であった。

ソルトレークではテロ対策に注目が集まるが、競技の中に潜む危険への対策がおろそかにならないように、切に願う。




2002/02/09 近鉄戦のチケット(後編)
2月4日月曜日、群馬県太田市の市長が高野連に直訴した。
「なぜ秋季関東大会ベスト4の太田市商が選抜されず、ベスト8の水戸短大付が選抜されたのか」

選抜されなかった主な理由は、準優勝した浦和学院に、水短は準々決勝で4−6と善戦したの対し、太田市商は準決勝で1−8と完敗したことにある。しかし、だからといって水短の方が実力がある、と判断するのはナンセンスだ。関東の選抜出場枠は例年5校なので、準決勝進出が目標になる。準々決勝で太田市商は全力を使い果たし、準決勝で力が出せなかったのかも知れない。

一方、直訴に対する高野連の回答はこうだ。「秋季大会は予選ではない」

秋季大会が予選ではない以上、たとえ秋季大会で優勝して選抜されなくても、黙って涙を飲まなければならない。大体、選手や監督が直訴するならわかるが、なんで市長がしゃしゃり出てくるのだろう?太田市長も、高校野球を町おこしや人気取りの道具として考えず、黙って涙をのむべきだったのだ。高校野球に対する認識が屈折している。


今年の21世紀枠の鵡川高(北海道)を見ていただきたい。選抜理由は「過疎に悩む町の高校でありながら実力がある」だそうだ。しかし実際は、鵡川町が町おこしのために、砂川北高や旭川龍谷や中標津高の甲子園経験のある元監督を、次々と監督・コーチに迎え入れた結果の、いわば「つくられた強豪」なのである。そんなチームを称える理由がどこにあるのか。実力で選抜を勝ちとれなかったにもかかわらず、21世紀枠に選ばれて、はしゃぐわ胴上げするわ。見ていて情けない。イチローだったら辞退しているだろう。こんなチームのために関東の出場枠が減り、関東ベスト4の実力校が涙を飲んだかと思うと、悔しくてやりきれない。

***

話がそれたが、要するに読売や高野連といった諸悪の影響で、日本のファンの野球に対する認識は結構屈折している。純粋にスポーツとして野球を観れば、「3番ローズ、4番中村、5番ウィルソン」の打線が、おそらく巨人の3、4、5より凄いのがわかるだろう。

日本のファンにとって、巨人戦を見に行くことは、ジャニーズのコンサートに行くことに似ている。ジャニーズのファンは彼らの歌う「音楽」を聴くためにお金を払うわけではない。日本の野球ファンは、「スポーツ」にではなく「野球」にでもなく「巨人」にお金を払うのだ。だから巨人戦のチケットの値段は高く、近鉄戦のチケットの値段は安いのである。



2002/02/02 近鉄戦のチケット(前編)
アメリカのIndependent League(独立リーグ)でプレーする佐々木誠(元ダイエー→阪神)は言う。「独立リーグでも、ファンがすごい。みんな野球を楽しみに観にくる。だから、やりがいがある」
翻って、日本の野球界はどうか。諸悪の根源は読売と高野連(高校野球連盟)であることは明らかだが、それに踊らされているメディアやファンにも責任がある。特に高校野球。テレ朝を中心にドラマチックに仕立て上げすぎである。熱闘甲子園などで、録画の映像に、結果を知ってるアナウンサーが実況をつけるのはやめていただきたい。

実況で「さあノーアウト1、2塁、1−2から4球目をバッター田中うちましたー!!!」なんて説明的なセリフはありえない。ドラマでよくある、「あーっ!高校のときクラスメイトだった佐藤じゃないか!」なんていうセリフと同じだ。高校野球はドラマではなくスポーツだ。スポーツ自体がドラマチックなのだから、ドラマチックに仕立てる必要はない。

星稜の松井が5打席連続敬遠されたとき、土佐市(明徳義塾高校の所在地)の市役所に抗議の電話が殺到した。まったく、日本の野球ファンにはあきれてしまう。もし仮に、5打席連続で送りバントを決めた9番バッターがいたら、それを命じた監督に抗議の電話をするのだろうか?その9番バッターだって打ちたかったかも知れないのだ。

敬遠は立派な作戦だ。地方予選では、強打者に対しては満塁で敬遠する場面もよく見られる。敬遠したほうが取られる得点の「期待値」が低いから敬遠するのである。現に明徳は松井を敬遠し、次打者の月岩選手を無安打に抑えこみ、1点差で星稜を破っている。あれほど見事な作戦を、私は他に知らない。

この試合の直後、高野連の牧野会長は「高校生らしく正々堂々と戦ってほしかった」と全くおかど違いの発言をしている。
その前に正々堂々と選抜の出場校を決めていただきたい。

ファンが高校野球をドラマにしてしまったことで、高野連は「21世紀枠」などという、21世紀まれに見るバカげた枠を作ってしまった。この2校のおかげで、必死に練習した、本当に実力のある2校が甲子園に来られないのだ。

(つづく)






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