Readers' voices


■(匿名) さんより■(2007/04/11)

稲見さんはJリーグのレベルを上げるためにはなにをすればいいと思いますか、辛口解説者セルジオ越後は5人外国人枠を認めることと言ってます。


■稲見より回答■

――まず、「Jリーグのレベルを上げる」ということと、「日本代表のレベルを上げる」ということは、全く別だと思うので、別々に考えたいと思います。

単に「Jリーグのレベル」を上げたいのなら、外国人選手枠を増やすのはアリでしょう。しかし、「日本代表のレベル」を上げたいなら、私は外国人選手枠を増やすべきではないと思います。

実は、こういったことは、バスケットボールが良いお手本になります。バスケの日本リーグ・スーパーリーグ(bjリーグもそうですが)では、得点ランキング上位をほとんど常に外国人が占有します。各チームが、優秀なフォワードやセンターを外国人選手で固めているからです。もちろん、彼ら外国人選手のおかげでスーパーリーグのレベルは上がっているわけですが、こんな状況で優秀な日本代表のポイントゲッターが育つでしょうか? Jリーグも、外国人選手枠が増えてしまうと、同じ道を辿るのではないかと思うのです。

逆に、外国人選手獲得のための資金を国内の優秀なフォワード選手の雇用に充てたほうが、日本人FWが欧州クラブに流出して試合にも出してもらえないという状況も改善できるかも知れませんし。

また、J1のチーム数を減らすという意見も何かと多いと思いますが、チーム数を減らせばJ1の密度が濃くなって「Jリーグの」レベルが一見上がるかも知れませんが、受け皿が減って「日本代表」のレベルは下がる可能性もありますので、注意が必要ですよね。

「Jリーグのレベル」と「日本代表のレベル」を同時に上げるためには、Jリーグのストラクチャをいじるしかないと思っています。リーグを複数地区に分け、地区代表とワイルドカードでプレーオフにするなど、消化試合を徹底的に減らすことです。大規模なナビスコカップみたいなものでも良いかも知れません。同時に、ある程度チーム数を減らすのも、致し方ないかも知れません。負けられないゲームが増えることで、選手の経験値も増し、国内リーグの人気も向上し、それがレベル向上に還元されていくのではないでしょうか。
(稲見)





■松本 さんより■(2007/04/11)

東京大学野球部の加藤義之選手、2年生ですが非常に興味を持って?と言うと失礼かな? 楽しみにしています、どのようなプレイを見せてくれるのでしょうか?

投手での登録ですね、この選手は敢えて何も説明したくありません、それほど笑顔がさわやかな見ていて素敵な感覚の選手です、出来ればおおいに活躍して欲しいと思わせる選手ですね。 近くマスコミ報道も彼を取り上げる機会が増えて来ることを期待し注目して見続けてゆきたいと思っています、悪いけどもハンカチよりもこの選手の方が遙かに見るべきものがあると個人的には思っています。 応援してください。




■Ken さんより■(2007/03/20)

>果たして我々は、「測定装置には誤差がある」ということを認識しながら球速表示を見ているだろうか。

ファンは冷静だと思います。 ○○球場は比較的スピードが高く出やすいとか、○○ドームは逆に低く出やすいとか、結構知ってますからね。

「まともな」野球ファンは、数km/hの違いを大して気にしていないでしょう。 個人的な衝撃度で言えば、例えばクルーンより与田や伊良部の方が上でしたし、大事なのは自分の目で見て何を感じるかということだと思います。それも大体のファンはわかっているでしょう。 問題なのは、その自分の目で見る楽しさを伝えられていないメディアかなぁと。 守備の上手さとか、巧妙な走塁とか、普通では伝えにくいけど面白い部分を伝えられていないなぁと常々感じております。特に民放において。

そういったところが、数字に対する過剰な反応に繋がっているのかなと思います。 数字はあくまで観戦を面白くするためのスパイスであり、メインディッシュは目の前のプレイなのだと思います。






■松本さんより■(2007/03/08)

時と場所を選ばずに自分勝手に書かせて頂きますが、昨夏の高校野球選手権での決勝戦での事ですが駒大苫小牧の投手田中が投じた球はコースに関係なく打者が空振りしました、この時空振りしたにも係わらず球審は死球の判定をしましたね、駒苫バッテリーがとまどったことは言うまでもありませんが、コースがボールでありストライクであってもその投球に対して空振りした場合はストライクと言うのが野 球のルールだと思っていましたがこれは間違った判断でしょうか?

その時は早稲田実業の打者が滑稽に見えて審判はいかさまのプロレスリングの審判のように見えて腹を抱えて笑ってしまい、それまでの緊張した決勝戦に水をさされた気分:さて私の判断は間違っていましたか?

今でも、どう考えても三振の場面であったと思っています、このような審判が存在する限り限りまともな真剣勝負などは期待出来そうも無いですね?

そう言えば1昨年前にも地方大会でホームランを放った打者があまりにも喜び過ぎてベースランをした為に本塁到達時に主審からアウトを宣告された事実もありましたね、この時も大笑いしましたが一体高校野球の審判とは何様なのでしょうか? ただただ疑問です。


■稲見より回答■
――いつも誠にありがとうございます。
確かに懐かしい話ですね。あえて審判を弁護すれば、審判というのは非常に難しいんですよ、はたから見ている以上に。ただおっしゃる通り、「高校野球を裁く」のではなく「野球を裁く」審判であってほしいですよね。
(稲見)




■高橋さんより■(2007/03/01)

――サッカーについて

jリーグは日本ローカルルールを作成して 土曜日・日曜日の連戦をおこなうべきだと思います。 売り上げ・人気・だれないゲームに効果を発揮すると思います。

1.連戦ゲームは、ハーフ制ではなくクウォーター制にする
  (第1第2クウォーター間は人の入れ替えの3分 テレビCM増) 
2.交替選手の再出場を可能にする (スピード感のあるゲームを維持する)
3.25歳以上の選手は、10月位に体力測定にて フル出場選手とクウォーター出場選手の資格を検定する。
    クウォーター出場選手は、1試合に連続するクウォーターには出場できない 1ゲームで2クウォーターの出場に制限される
4.フル出場選手でも連続する2ゲームで出場は1.5ゲーム(6クウォーター)に制限する  
  連戦の疲労を考慮

スピード感のあるゲームが維持できれば選手の技術の向上が早くなる
選手の入れ替えのため3種類位のポジションを経験することになる
30歳をすぎてもクウォーター選手としてゲームの質を落とさずチームに貢献でする ことで、年齢の高い選手が増え色々な経験がチームの練習方法や技術の指導法の スキルがあがる。

はっきりいって、サッカーは年齢の高い選手の経験を活用しているとは思えない 今のままでは、サッカーはすべてを外国人にたより続けることになるでしょう


■稲見より回答■
サッカーに限らず、全ての競技において、私はローカル・ルール大歓迎派です。クォーター制というのはアリですよね。こういう議論がもっと活発に行われることを、強く望みます。
(稲見)




■NANAさんより■(2007/02/11)

なぜ、スポーツにはルールがあるのですか?


■稲見より回答■
――これに関しては、もっとご専門の方が何人もいらっしゃると思いますが…。どのような回答が期待されているか、この一文からでは拝察が難しいのですが、

1)客観的かつ公正・公平に勝負を決めるため
2)観ている側からも競技している側からも、面白くするため
3)競技者や観戦者の危険を避けるため
4)適切な時間内に競技を終わらせるため

…といったものが挙げられると思います。皆さんはどうお考えでしょうか?
(稲見)




■中山さんより■(2007/01/29)

今回の件に限って言うと、本当に八百長やってるんだったら、こんなに朝青龍が勝ってるわけない、で終わりでしょう。

とはいえ、相撲を含めた格闘技には、常に八百長疑惑がつきまといます。これを完全に払拭するのはかなり難しいでしょうね。『やばい経済学』という本が、おもしろい分析をしてます。

取り組みの選定を親方ではなく外部の人間にやらせて、しかも当日まで対戦相手が分からないようにするという手もありますが、そうなると相手を研究するという、それ自体は力士のまっとうな努力すら否定することになってしまいます。疑えばきりがないわけで、妙案というのはなかなか内容に思えます。




■Deltaさんより■(2007/01/13)

こんばんは、いつも興味深く拝見しています。

箱根駅伝、私は生まれも育ちも近畿の人間ですが、今年も大いに楽しみました。

箱根駅伝。全員が20キロ以上走らなければならないというのは非常に過酷だと思いますし、ルール変更を私も望んでいます。ただ、私は稲見さんと違い、「選手の途中交代を許してはそれはもう駅伝ではない」という考えですので、交代案には賛成できません。

私は、当初は審判車に第三者的な審判を乗せ、1キロのタイムが指定より遅くなった場合は失格にしてはどうかと考えましたが、例年足を痙攣させながらタイムが落ちない選手がいたり、「どこにそんな力が残っていたのか」というほどの巻き返しをみせる選手もいるため、「客観的で正しい判断」は望めないという結論になりました。

そこで、私は、スタート地点を平塚あたりにして、今の3〜8区間を10に割ってはどうかと考えています。新聞社と東京のファンには納得いただけないかもしれませんが。 (「山のスペシャリスト」にも、卒業後の問題があるのですが、山はどうしてもファン心からはずすことができませんでした。)

家族や友人にはあまり賛同してもらえませんが、本当に、死者が出てからでは遅いです。(もっとも、不謹慎ながら80回もやれば統計的に数人は・・・と思わなくもないですが。)

そして、1区間を短くして人材難がある程度解消されたならば、伝統と人気がある箱根駅伝ゆえ、全日本大学駅伝とは別に、各地域の選抜チームの出場を募ってはどうかと考えます。(今年は関東学連選抜がOP参加でなくなり、良い傾向だと思っています。)人気を考えれば、ローカル大会にしておくのはあまりにも惜しいと思うのです。

とにかく、「今のままでは危険ではないか」という議論だけは続いてほしいと思います。


■稲見より回答■
――いつも有難うございます。

もちろん、おっしゃるとおり、距離自体を短くするという解もあると思います。私が距離をそのままにした方が良いと思う理由は、単に「この距離こそが箱根駅伝の人気の秘密である」と思うからです。

短い距離をつなぐ駅伝になってしまっては、今のような人気は維持できないのではないかと。そうなれば、男子陸上界の裾野を広げる今日の箱根駅伝の役割も、果たすことが難しくなりますので・・・。

いずれにしても、選手交代や距離短縮など改善案の議論が続いて欲しいと思うのは、全く同感であります。
(稲見)




■湯浅さんより■(2007/01/10)

オリックスの中村選手の契約がこじれてどうも自由契約になりそうだというのは稲見さんもご存知だと思います。 実際、この選手の言動は馬鹿馬鹿しすぎて話にもならないのですが、ひとつ耳に残るコメントがありました。 「金額うんぬんじゃなく、気持ち、誠意の問題」(こんな感じです。)

このようなコメント、中村選手のみならず多くの選手が言っているように思います。契約更改のたびに「球団の誠意を感じた」だとか「誠意を感じなかった」とか言っていますが、要するに彼らの言う誠意とは「金」でしょう。

彼らはプロフェッショナルなのですから、「金額の問題じゃない」などというセリフを吐くべきではないと私は思います。むしろ、「自分はこれだけの仕事をしたのだからこれだけもらう権利がある」と主張するほうが理にかなっていると思います。

成績が悪く交渉が難航した時でも、「誠意を感じない」「球団から必要とされていない」といった言い訳をするのはプロとして幼稚だと私は思うのですが、稲見さんはどう思われますか?


■稲見より回答■
――同感です。

考えてみれば、サラリーマンだって上司と評価(やボーナス)についての面談を行うわけで、そのときに「誠意」がどうこうなんて関係ないですものね(ひとによるのでしょうけど・・・)。
(稲見)




■松本さんより■(2006/12/31)

あなたの選抜選考の見解は昨年と同じ考えで書かれています、言いたいことは理解出来ますし同感ですが、そもそもこの大会は選抜です、極端にいえば地方大会で1回戦敗退のチームが選出されてもおかしくはないのです。

この選抜の方法は主催者側にありどんな内容でもありなのでしょう?

ですから選抜されたチームと言うものはあくまでも選ばれたチームと言うことでしかないのです、つまりあなたが言いたいことは届かないことであり、毎日新聞が何を言われる筋合いのものでは無いと言うことです、私はこの大会をこのように見ています。


■稲見より回答■
――ですから私は、「高校生の全国大会出場校を、主催者が独断で『選抜』するという、この大会のコンセプトからして、その妥当性が問われるべきである」と、今回のコラムでも書いていますし、毎年のように指摘しているのです。

百歩譲ってそのコンセプトを認めたとしても、くだらなく且つ不公正も甚だしい選考理由を掲げて、偏見に満ちた選抜を正当化しようとする主催者側の姿勢が、批判の矢面に立たされるべきだと松本さんは思わないのですか?
(稲見)





■キュービーさんより■(2006/12/26)

いつも興味深く拝見しています。

 25日の横綱審議委員による稽古総見が行われたが、内舘委員は緊張感が足りない、 総見は形骸化していると不服を言いました。上位陣は欠席せず本場所並みに真剣勝負 しろ、ということか意味がないなら止めろ、ということかわかりません。どうすべき か具体的に提言して欲しいところです。

 確かに横綱を狙う大関がここでアピールしたところで、選考に影響しないとなれば モチベーションは上がらないでしょうし、本番前に手の内を明かしたくもないもの。 神事という訳でもなさそうだし。

 形骸化と言えば、そもそも相撲の厳しさを体感したことのない人達に横綱昇進の 判断を委ねる制度は本当に機能してるでしょうか。サッカーに詳しいか不明な人達 にJ2入りを審査されるとなればプロ化をめざすアマチームはどう思うでしょう。 もちろん同一視はできませんが。委員会は解散して名誉職制にしてはどうでしょう。 理事会で横綱を推挙して、総理大臣よろしく名誉会長が任命すると。高円宮久子 妃殿下はフェンシングやヨット、ホッケーなどの協会の名誉総裁もされています。 相撲に造詣の深い皇室の方や政治家に職について頂ければ格が上がるというものでは ないでしょうか。




■早田さんより■(2006/12/26)

選抜推薦枠の辞退校について

団体スポーツで全体責任の時代は過去のものにすべき
「個人にとっては活躍の場であるのだから」

いつまで続く改善のない悪しき風潮、権力度は加齢と比例するだけで権限を得たからと いって進歩的考察などもなく ただ椅子に座るしかない関係者(スポーツに限らず) 協会等は、役員選定には年代層を考慮し選出するべきで近代的考えを聞き入れる等 有識者(若年層)を顧問に置くべきです。

稲見さまの一層の活躍を期待しております。




■アップダイク さんより■(2006/12/26)

こんにちは。初めてコラムを読ませて頂きました。私はもうすぐ50歳のスポーツファンです。

コラムについての提案です。もっとスポーツを見る時の面白い見方や裏話を書いてみたらいかがでしょうか?今のままでは読売&高野連への批判だけに終始ししまうような気がします。稲見さんの(多分)得意とするデータからの分析や「理論と精神の鬩ぎ合い」のような内容のコラムを読んでみたいと思います。

高校野球はたかだか高校生のクラブ活動です。大人があれこれ言うことではないような気がしています。何のために批判しているのでしょうか?それよりも亡くなった山際さんのようなテーマをかけるコラムニストを目指してほしいと感じます。

これからも注目してゆきたいと思います。がんばって下さい。




■真行さんより■(2006/12/24)

サッカーW杯の南アフリカ大会のアジア枠が4.5になりました。

そのあとで記者の方たちが今度の大会は無理でも次の大会からでも、《アジア・オセアニア》と《アラブ》枠に分けたらどうかという意見を自分たちのサイトに出すのを見かけるようになりました。

理由としてはアラブはアラブ連盟として独自の枠を与えてアジア・オセアニアと分離した方が、日程の調整や・遠征や生活環境や習慣などのハンディも、だいぶ緩和されることや、彼らアラブ諸国は《アジアのため》ではなく《アラブのため》に頑張っているだけだ。だから自分はアラブ諸国をアジアの仲間だなんて思っていないなどの意見があります。このことをどうお考えでしょうか?

私としては現状のままの方がいいと思うのですが、確かに分けたほうがアウェイなどのハンデは減ると思いますが、それも一つの予選という楽しみでしょうし、別に日本だけが不利をこうむるのでなく、相手チームだってやりようによってアウェイ(日本)で苦しますことも出来ます。

それに、もう一つの理由に挙げていたアラブはアラブのことしか考えてないのは、別に日本だってアジア発展のことを考えてないとは言いませんが、アジアのことよりもはるかに自国のことを考えている点から見ても別にそのことを理由に挙げるのはどうかと思います。

私としては今回豪州がアジアに入ること事態反対です、初めからオセアニア・アジアという地域でやるなら反対しませんが、分けられていて豪州はなんと言おうがオセアニアの地域です。カザフスタンみたいにソ連のころは欧州だったのに独立したためアジアに入れられたから欧州に入りたいといった明確なお国の事情が有るならともかくW杯出たいとか理由でアジアに入るのはなんか納得できないです(オセアニア自体に1上げていいと思ってます)


■稲見より回答■
――なんだか言葉遊びみたいですが、「日本も中東のことなど考えておらず、日本のことしか考えていない」からこそ、中東を切り離せと主張しているわけですので、理由としてはスジは通っているような気もします(笑)。

中東だけを切り離すと、中東同士の対戦ばかりになる中東予選が政治・宗教的に殺伐とするでしょうから、私も反対です。組み分けるなら、オーストラリアの問題も絡めて、「東アジア・東(南)アジア・オセアニア」と「中央アジア・(東)南アジア・中東」とに再編成するべきでしょう。時差の問題など選手の負担も小さくでき、現在AFCが抱える問題も多少軽減できます。

オーストラリアだけがAFCに加盟するのも、やはり宜しくないと考えます。理由は、このような例外を認めると、あとあと「何でもあり」になるからです。

UEFAに加盟したカザフスタンやイスラエルのように、歴史・宗教的背景による例外は仕方ないでしょう。しかし、今回のオーストラリアのような例外ができてしまうと、たとえば「ヨーロッパは強豪が集中しているので、フランスをアフリカに、ドイツはアジアに、イングランドは北米に・・・」などということも、OKになってしまうワケですよ。まあ所詮、ワールドカップは商業的成功が第一義目的なので、それでも良いと言われればそれまでなんですが・・・。
(稲見)





■(匿名)さんより■(2006/12/06)

確かにけたぐり自体は卑怯な技ではありません。ただし朝青龍は過去にこのような発言をしています。

「はたくやつは罰金だ」、「まっすぐ来て欲しかった。若いのならまともに来い、ということを言いたかったな」、「立ち合いで変わられて負けたら悔しいよ。そうでしょ。オレは違う。オレは立ち合いで変わったりしない。 お互いにぶつかって、その方がすっきりする」「オレは引く人間じゃない」…

つまり朝青龍自身が横綱審議委員会と同じような主張をしているのです。にもかかわらず自らは先場所敗れた格下の相手に変化。これらの発言も朝青龍にとっては横綱という地位を利用した「作戦」のうちなのでしょうか。だとすればある意味感心しますが。

朝青龍のこのような言行不一致ぶりについてはどうお思いでしょうか?


■稲見より回答■
――まず大切なことは、力士の言行が不一致であることと、横綱審議委員会がつまらないコメントをすることとは、全く別問題であるということです。

たしかに横綱は言行が不一致だった(或いは考え方が変わった)かも知れませんが、だからと言って横綱審議委員会がつまらない発言をして大相撲の品位を汚して良いことにはなりません。

言行が不一致であることが問題だと言うのならその事を指摘すべきであって、「けたぐりは品がない」などと言うべきではないわけです。

それを踏まえて、ご質問の横綱の言行不一致についてですが、あくまで私の意見としては、力士、選手、チームの戦略や戦法がデビューしてから引退するまで常に不変であるべきだなどとは考えてませんので、特に問題だとは思いません。
(稲見)





■かずさんより■(2006/11/28)

 横綱審議委員会が朝青龍の稀勢の里戦でのけたぐりについてまた批判しました。

 私の個人的な意見としては土俵外の品性にかかわることなら横綱として文句はついてもいいと思います。ただ土俵内ではおかしな暗黙のルールがあります。「横綱は下に胸を貸す立場だから最初のあたりは受け止めないといけない」

 過去にこのような発言をしていた方もいました。現に貴乃花、曙は晩年この影響でひざを悪くして引退を早めています。日本に来て稼ぐために相撲をとっている朝青龍も現役を長くと思うなら勝ちにこだわってもいいと思います。横綱は負けないから横綱なんです。「けたぐり」はルールで認められた技です。型にはまった相撲ばかりでは相撲の技術レベルの向上はありえません。それも過去に相撲を土俵の上でとった力士出身が言うのならまだいいのですが横綱審議委員会という現場を経験していない方々の発言なので許せません。

 朝青龍が最近はあまりしなくなりましたが土俵際で駄目押しをして相手を突き飛ばすことがありました。それも北の湖理事長いわく「行司の軍配があがっていないうちは勝負がついてないので許される行為」と言ってました。勝負師のことばだなあと思いました。これにも横綱審議委員会は注文をつけていました。

 一体あの連中は何様のつもりなのかそう言いたい。


■稲見より回答■
――ひとつひとつのご意見、全て同感です。

実は私も彼らの言葉を聞いた直後に、バーっと文章を書き上げたのですが、かずさんにほとんど先に言われてしまいました。。。重なる部分は削らなくてはなりませんね・・・ほとんど残ってませんが(笑)。
(稲見)




■hanakoさんより■(2006/10/05)

9月26日のコラムおよび匿名希望さまとのやりとりをたいへん興味深く読ませていただきました。

わたしは、陸上を中心にハンドボール、学生野球など注目されにくい競技をみています。今回は、サッカーを例に書かれていますが、別の競技でもほぼ同じことが言えるのではと思いました。

とくに考えさせられたのは、(2)のコアなファン、ミーハーなファンというところでした。わたしもそのうちのひとりですが、コアなファンというのは、マスコミの取り上げ方に不満をもつことが多いと思います。話題先行で肝心の競技のことを伝えない姿勢に腹立たしい思いをしています。

こういう話題で一瞬の興味を引くことがマスコミには求められているのかもしれませんが、それではその競技人口やファンが増えないということだと思います。バレーボール選手に奇妙なニックネームをつけるのには慣れて、何も感じなくなりましたが、陸上選手には、私生活レベルでの話題を紹介のときにつけるなど、一時的な興味をひくためなら、なんでもありなのかと言いたいです。

最初はミーハーから始まっても、そこから競技の魅力にふれコアなファンになっていくことも多いと思います。だから、「ミーハーなファン」と揶揄するのはどうかと思いますが、一方で、今もっともミーハーなファンが多い早実の斎藤くんですが、高砂に駆けつけたファンが、コアな高校野球ファンになるとは、考えにくいです。

わたしは、陸上ファンをバカにしたような伝え方をするマスコミ(具体的にはTBS)に対して、とっても不満をもっていて、そのことを陸上界ではメジャーな陸上ライターにお伝えしたことがあります。同じような声がたくさん彼には届いていたそうですが、彼のスタンスは、「スポンサーがつき大きなメディアが取り上げてくれるだけで十分」ということでとっても幻滅した覚えがあります。「コアなファン」としては、あんな取り上げ方なら、放送しないでほしいと思いました。

スポーツメディアで仕事をしているか、私財を投じて競技を追いかけているファンとでは、決定的に立場が違うと痛感しました。

どちらの立場もあって当たり前、どちらも必要なものですが、そういうことも踏まえて、考えていかないといけないと思いました。




■匿名希望さんより■(2006/09/26)

いつも楽しみに拝見させて頂いております。
Jリーグの改善すべき点があるのはよくわかりますが、私は10年程前からあるJ1チームのゴール裏に通う者の視点から気になる点がありました。

@「実はJ1の1試合平均観客動員も、一昨年よりも減少している。〜」

 確かに数字上の増減は出てますが、その中身が重要だと思います。日韓W杯の後に一気に観客数は増え、その後再び減少傾向にありますが、アウェーまで駆けつける様な熱心なサポーターの数はほとんどのチームで格段に増えているのが実感です。
 あるジャーナリストが「日本サッカーを強くする近道は多くの人が贔屓チームを持って厳しい目で見ること」と言ってましたが、多くのマスコミがJリーグをあたかも代表候補選手の活躍状況をチェックする場と見立てたような報道ばかりが目立つにも関わらず、です。
 日本人はすぐマスコミに流され、熱しやすく冷めやすい習性ですし、昨今の観客数の増減は私は悲観してません。
 あと、経営状況にしても同じで、90年代後半と比べれば全然いいですし、経営陣の意識も向上してると思います。

A「Jリーグは地域密着を標榜している。〜真面目に検討するべきだろう。」

 現状、欧州ほど熱くないのは百も承知ですが稲見さんはだからといってあきらめるのでしょうか?前述したようにミーハーな客で数を稼いで盛り上がるよりコアなサポーターが徐々に増えるほうがサッカー文化はよほど根付いていると思います。
 代表ばかりに世間の目が行くのはJリーグを見てない人は前述のマスコミに「代表>>>>>Jリーグ」というイメージを与えられてるのも大きいと思います。そういう妨げがある中で、代表選手の居ないのに盛り上がる新潟のような例も出てきています。
 日本サッカー強くするために外国人枠拡大や昇格降格のチーム数など選手の競争を煽って結果、コアなサポーターもより熱くさせる改革は考えるべきでしょうが、アメリカ型の盛り上げ方とかを導入させるのは違和感を覚えました。


■稲見より回答■
――興味深くも丁寧なご意見、誠にありがとうございます。
ご意見を整理すると、

(1) 日本人はマスコミに流されているだけなので、観客数減には悲観していない
(2) ミーハーな客で数を稼ぐより、コアなサポーターが増えたほうが良い
(3) アメリカ型の盛り上げ方には違和感あり

といったところでしょうか。これらに対して、あくまで私の意見ですが、

(1) マスコミに流された結果であろうとなかろうと観客減は悲観すべきであり、マスコミに取り上げてもらうようにしないと(いまの日本では)裾野自体も広がらない
(2) ミーハーな客も客のうちであり、どこのスポーツリーグでもミーハー客は重要な収入源である
(3) アメリカ型のリーグ進行は消化試合も減るため、選手もサポーターも熱くなれ、人気とレベルの向上にもつながる

といったところです。
(稲見)




■佐々木さんより■(2006/09/22)

「高校球児の投球回制限」についてですが、私は反対です。 私は中学、高校とハンドボール強豪県、強豪校の選手でした。全国大会で2位になったこともあり、将来は実業団入りを希望していましたが、練習は高校野球よろしく非常に過酷であり、そのため、半月板や膝軟骨・関節が損傷し夢は破れました。 ただ、何も後悔はしていませんし、選手時代はその練習や試合が全てでした。今でも素晴らしい思い出ですし、誇りでもあります。 「体に悪いから試合途中で強制交代」なんてルールであれば、白けるばかりで不完全燃焼、これほど素晴らしい思い出にはなっていないでしょう。 また、選手の体力は個人差があります。スピードスターターもいれば、逆に終盤に真価を発揮する選手もいます。投球制限は、これらの選手の個性や特徴を失わせることにもなりえます。 また、大切な点として、部活動は自分が選んだ高校で、自分の選んだ競技を、自分の意思で継続している と言うことです。当然辞める権利があります。 で、ある以上、過酷な練習も希望してあるいは納得しているということです。 イチロー選手のように、いわゆる強豪校ではない学校を選び、全てをプロ選手になるために費やすのも選手の価値観・人生観。また、私のように強豪校で中学高校で全て燃焼するのも、また選手の価値観・人生観だと思います。


■稲見より回答■
――ご意見は大変よく理解できます。私も高校時代はひじ痛に苦しみました。それで後悔しない選手も多いでしょう。一方で、選手としての成長期に体を気遣っていれば、と思う選手も居ることに思いをはせるべきではないでしょうか。高校生に、そこまでの完全な判断を求めるべきなのでしょうか?

ユースを選べるサッカーとは違い、部活動に進む必要がある野球やハンドでは、将来を考えると強豪校を選んで進学せざるを得ません。イチロー選手も、高校は超名門校ですから。

コラム本文でも挙げたとおり、甲子園でも多くの選手が壊れています。彼らは、本当に佐々木さんのように晴れ晴れとした心境なのでしょうか? 酷使さえされなければ、プロでスターになれた人材ばかりなのですよ?
(稲見)




■池田さんより■(2006/08/27)

いつも楽しく読んでます。 さて、今回の記事ですが、 これは、高校球児のみならずだと思います。 各スポーツ競技からブラバンまで、 学校のクラブ活動が 大人中心で動きすぎだと思います。

体が未発達な少年少女のうちは、
●的確な指導(きちんとした指導者による)
●考えさせること(教えるのは基本のみ)
●試合(発表)の場を与える
●学校単位でなくて、地域単位にする。
●学校外の人間も関わらせる。
が重要かと思います。

で、勝つ方法は教えていいけど、 勝つことの強制は、 少年少女の今後の可能性を摘むものだと思います。

勝つことの義務感と自分の体の事情を、 きちんと天秤にかけて判断しろというのは 大人の都合としか言えません。 通常の少年少女は無理だと思います。

また、監督さん自身も、 学校側から勝つことを強制されているでしょうから、 正常な判断は期待できません。

ですので、少年少女が、 無理を強いられないシステム構築も 必要でしょう。

たとえば、高校野球に関しては、 投球数制限もとうぜんですが、
●実力レベルに応じたリーグ制
●無理のない年間カレンダー作り
●7イニング制の実現
●8回以降は満塁からの攻撃
を是非とも実施してほしいですね。 (と書いてみて当分実現しそうにない と思ってしまう僕も問題ですね・・・)




■如月さんより■(2006/08/21)

20日付けのコラム、読ませていただきました。全く同感です。

一野球ファンとして、西東京大会からずっと一人で投げ続けている斎藤投手の肩、肘は大丈夫かと心配しています。甲子園も最近はわりと複数の投手を使う学校が増えて、いい傾向だと思っていたのに、ワイドショーで、「昔の甲子園のようで(一人で投げ抜く)カッコいい」などとヒーロー扱いされていて違和感を覚えます。どちらが優勝するにせよ、今日は控え投手を登板させて、打撃戦でいいのではないかとすら思います。

死力を尽くして投げぬいた結果が選手生命を絶たれる、というようなことにならないことを、今は祈るばかりです。 未来ある選手をつぶさないためにも、投球数制限は絶対に必要だと思います。




■(匿名)さんより■(2006/08/10)

選手宣誓のところをみましたが、一生懸命、選手宣誓をした選手たちにたいして失礼じゃありませんか?名前まで出す必要はなかったと思います。 正しい選手宣誓を書いてるのは、よかったと思います。でも、侮辱にしか見えません!


■稲見より回答■
――名前を出す必要がありました。というのも、選手宣誓が「著作物」である可能性があるからです。著作物を引用する場合は、著作権法第32条の規定(条文にはありませんが、判例解釈です)により、出所、即ち誰の著作物であるかを明示する必要がありますので、選手の名前を出す必要がありました。

論旨を展開するにあたって具体的な内容を引用する必要があったのですが、選手は甲子園の大観衆の前で、全国放送で、あの宣誓をしているわけで、その宣誓に対しての私の意見を述べるのに、出所表示を控える必要はないだろうとの判断でした。
(稲見)




■原さんより■(2006/08/08)

稲見さんこんにちはお久しぶりです。

「野球の本当のオモシロさを伝える解説を」についてですが
確かにこれで勝負は「決まった」と言い切るのはどうかと思いますね。 特にテレビの解説者なんかが中継の途中に勝負を決定づけてしまうような 発言をすることは避けた方が良いと思います。 イニング五回途中でそんなこと言われても視聴者はチャンネルを変えるだけですからね。 番組の企画で「勝負の分かれ目」を言うことに関しては試合後なんで個人的には 別にかまわないと思うのですがあまり面白いと思いません(番組の演出がダサいというのもありますが)

しかし一般視聴者がゲームの勝敗を決め付けてしまうことはある程度致し方ないことだと思います。 野球の「恐さ」を仮に知っている人でも点差が開くと勝敗を決めてしまうものだと思います。5回途中で10点も点差があればたいがいの人は勝負ついたと思うでしょう。

だからこそ大逆転した時に興奮するのでそれも野球の魅力だと思います。 ですんで大切なのはゲーム観戦に観客や視聴者を留めさせるために球場でのサービスやテレビでの面白い演出はもちろん何より選手の頑張りや解説者の言葉というのは非常に重要になってくると思います。

途中で敗戦処理投手が出てきたり負けムードの流れで怠慢プレーされ緊張感が無い試合され解説者がつまらないことを言うようじゃファンはゲームに入り込めません。(敗戦処理投手ははっきり言ってしかたないですが) どんだけ負けていても選手の諦めない姿勢にファンは共感するし稲見さんがおっしゃるように解説者がもっと野球の「オモシロさ」「恐さ」を伝えることができればファンはテレビを消したりスタジアムを去ったりが減るでしょうね。

ていうか稲見さん日本プロ野球機構のコミッショナーになってくださいよ(笑)


■稲見より回答■
――仰るとおりに思いますね。

いつも思うのですが、原さんのようなお考えの方ばかりであれば、私がコラムで危惧していることなんて、たいてい杞憂に過ぎないわけでして。

仰るとおり、諦めない姿勢はもっと出して欲しいですね。それと緊張感というかスピード感が大事な気もしてます。いつも言ってることなんですが。スピード感があれば、個々の勝負にファンも没頭できると思うんですよ。点差が開いてても。点差が開いている展開でダラダラとプレーされたのでは、観るひとなんて居るわけないんですから。
(稲見)




■Keiさんより■(2006/07/31)

いつも拝見させて頂いております。 今回の高校野球についてのコラムを読みましたが、思ったことがあります。

Jリーグと野球を見てると高卒入団選手で前者には選手権に出てこないような高校出身の選手も見かけるのに後者のドラフトで指名されるのはほとんど甲子園でどんな成績残したか、がクローズアップされてるような気がします。

実際両者のスカウトのシステムがどうなっているのか大変失礼ながら知らないのですが、サッカー界では(トレセン制度やユース日本代表、県選抜などがあるからでしょうか)サッカーで少々無名な高校でも優秀な選手は確実にピックアップされるシステムが整っているのに、野球にはそういうシステムが整っていないのではないか?と思えます。

思うに野球にそのようなシステムが整ってるとすれば、これほどまでに異常に甲子園出場に執着することもないだろうし、1県1校の不公平さについてこんなに盛んに議論されることもないのではないのでしょうか。 甲子園に出ないと注目してもらえないのなら、それこそ不公平だと思います。

どう思われますか?お聞かせ願います。


■稲見より回答■
――まず、高校野球は他の競技に比べると、予選の早い段階から注目度が高くスカウトが送り込まれますし、予選開催期間外でも学校を偵察する土壌ができているので、甲子園に来ないと才能が発掘されないことはないということが1点(もちろんご指摘のとおり、甲子園に出ることが才能を見出される上で非常に有利であることには変わりはありませんが)。

また、私は「スカウトに見出される機会」を均等に与えるべきだと言いたいわけではなく、あくまで「全国大会に挑む機会」を均等に与えるべきだと思うのです。プロになる、ならないに関わらず、公式戦を戦って上の大会を目指すことは非常に良い経験になりますし、教育的にも素晴らしいことだと思うのです。そういった環境を全国に均等に与えられていない現状が、不公平ではないかと考えるべきではないでしょうか。

高校野球はプロ野球のためにあるのではない。あくまで、プロを目指す選手、目指さない選手にかかわらず、全ての高校生自身のためにあるのですから。ユースのあるサッカーと違って、選んだ学校の野球部で野球に打ち込まなくてはならない環境であるからこそ、考えなくてはならないことだと思います。
(稲見)




■Deltaさんより■(2006/07/26)

こんにちは、いつも興味深く拝見しております。2度目の投稿になります。

ジダンの頭突きのコラムは、まさに同意見です。 ジダンの素晴らしいプレーよりも、頭突きや侮辱の方が好きなマスコミの方々には呆れてしまいました。あんなこと、サッカーでは日常なのに。 頭突きが良いわけではないですし、ピッチ内のことなのでMVP剥奪は 「アリ」かとは思うんですけども。

本題ですが、最近気になっていることは、サッカー日本代表監督のオシム氏や、 その周辺の協会の方や、コラムニストの方が、Jリーグの「秋−春制」 について言及しはじめたことなのです。。。 スムーズな移籍や、メディア露出など、メリットは確かにあります。 しかし、冬にJをやるのは完全に無理だと私は考えています。 練習もままなりませんし、交通・防寒面でサポーターにも辛いです(苦笑) そもそも新潟ビッグスワンや札幌ドームは、冬は積雪により使用できません。 さらに、ACLに出場するチームはオフがなくなります。

サッカー協会が日程をグチャグチャにいじって、歪んだシステムに・・・ そこまで愚かではないと思いたいのですが、ちょっと心配です。

もし稲見さんにご意見がありましたら、お聞かせください。


■稲見より回答■
――秋春開催については、勿論同意見です。私も北海道の出身ですから、雪国での冬季開催の難しさが分かるからです。新潟や札幌だけでなく、山形(仙台も)もありますし、将来的に他にもどんな雪国のクラブがJに上がるかは分からないわけですから。 そもそも、海外へのスムーズな移籍とか国外組召集の容易化とかで代表を強化しようというよりも、国内リーグの適切な運営こそが代表強化につながるという考え方を持って欲しいと思いますね。
(稲見)




■スポーツ好き@大学生さんより■(2006/07/24)

世間では茨城GGを巡って騒いでましたが、どうも僕はこの萩本欽一という 人が好きになれない・・というか信用できないんですよね。 稲見さんがこの欄でおっしゃっているように、いきなり独断で「解散です」とかいう 神経も理解し難いし、かと思えばすぐに撤回する・・球団はあなたの私物ですか? と思わざるを得ませんし、注目度アップのための自作自演?などと穿った見方まで ついついしてしまいます。

と、実は今回言いたいのはこのことではありません。今回お聞きしたいのは 高校野球についてです。高校野球が現在、様々な問題を抱えているのは周知の事実で 稲見さんも度々取り上げられているので今さら言及することもないと思います。 ただ、僕が一番腹立たしく思うこととして、部活動としてみた場合、明らかに 野球部が優遇されている、ということがあります。

僕は高校時代は吹奏楽部に所属していたんですが、夏の暑い盛りに応援に 狩り出されるのは、はっきり言って迷惑以外の何者でもないです。 楽器を外に持ち出すのはかなりの手間ですし、屋外で日光にさらし続けることに よって楽器の音に変調をきたすかもしれません。 何より、その時期はこっちも間近に大会が迫っているので、野球部の応援で 貴重な一日を潰されるのはまったくもって納得いきません。

と、まあ愚痴はまだまだあって言い出したらキリがないのですが(笑)、 稲見さんは野球経験者としてどう考えていらっしゃるのかなと思いました。 野球部の人たちは少しくらいは申し訳ないなあと思ってくれてたんでしょうかね。 (もちろん野球部に責任があるのではなく、野球部の優遇というか特権が 慣習としてあり、そのことに疑問を挟む人がほとんどいないということが 問題なのだと思いますが)


■稲見より回答■
――私は、実は高校を卒業して色々な県の予選に足を運ぶようになって、こういうことに気付きました。というのも、私の時代、北北海道ってそれほど吹奏楽が予選の最初のほうからガンガン演奏に来てくれなかったんですよ。吹奏楽なしで、ベンチ入りできなかった選手達がスタンドで「歌って」応援したりして。とはいえ私は吹いてもらいましたし、コンバットマーチのリクエストに答えてもらって、もちろん感謝しているんですが。

それで実は、吹奏楽部のコンクールが夏の予選の時期重なっているという問題を、どこかで少し書きたいと思っていたんですよ。吹奏楽部としても、大勢の観客の前で何試合も吹くことは、やりがいもあるという意見もありますし。もちろん、吹奏楽の大会は最優先でしょうし。どちらかが大会の時期を譲歩するなどしてみてはどうかと。

県によっても違うと思うんですが、野球部の応援は夏の重要な学校行事の一環になってて、ある種文化祭的な役割もある場合があります。もちろん、野球部だけどうしてこうなるのか、って言う部分はあるのですが。迷惑だと考える方も多いでしょうし、逆にこういう舞台で吹きたいという方も居るんじゃないかと。吹奏楽部の方の意見も、もう少し集めてみたいと思ってます。スポーツ好き@大学生さんにも、今後お伺いするかも知れません。
(稲見)





■真行さんより■(2006/07/24)

いつも楽しみに見ております。

今回のこの「故意の三振」は責められるべきかについては賛成です。 その理由は全く稲見さんと同意見です。

3年ぐらい前(詳しくは忘れました)だったと思うのですが甲子園で降雨のため再試合ってありましたよね(あの時は圧倒的に勝って他チームがコールド回まで満たしていないので再試合で敗退)。あのときからなんで降雨でやり直さなくちゃいけないんだという気持ちになりました。 どうして高野連という組織はあれほど堅いのでしょうか?

今後のため降雨コールドはせめてそのままから順延でその場面から再試合、21世紀枠と希望枠の廃止による、選抜の条件を明白にする。(例えば今、中四国は全部で5枠ですけど、四国・中国共に2枠で残り1枠は中四国の3位同士がプレーオフみたいな決定戦を行う)みたいなことにはならないですかね。


■中山さんより■(2006/07/24)

本荘の行為。まぁ、感情的に責める人もいるでしょうね。ロジカルに行けば稲見さんの言う通りだとしても、責められるだろうことを予測できずにあんなこと指示した監督さんもどうかしてると思いますよ。どうせやるなら、態とらしいホームスチール失敗なんて選択せずに、他にもやりようはあるでしょうに。なにせ「熱血」「正々堂々」が高校野球の看板なんだから。

本荘の監督が、いわゆる野球人事で採用された人かどうか知りませんが、もしそうなら、そういうイメージがあるからこそ、自分が食って行けているわけで、自分の足を食っちゃいけないでしょう。いや、現在の高校野球に纏わる虚像をはぐとか、強い意志からやってるんなら、もちろん話は別ですけどね。


■稲見より回答■
――3年前の夏の甲子園、駒大苫小牧と倉敷工の一戦ですね。8点リードが、4回ノーゲームでフイになりました。

さて、監督の立場で考えてみても、バカ正直な作戦でみすみす勝利をフイにするように選手を指揮することは、私は教育ではないと思うんです。勝利を目指して、あらゆる戦略から最善のものを選んでプレーすることこそ、立派な教育です。スポーツとは、そういうものなのですから。「高校野球に纏わる虚像をはぐ」という意思がなかったとしても、勝利にこだわる戦略を見せた本荘の監督には、私は敬意を表します。

いずれにしても、今回の件で、秋田高や本荘高が責められるということは、絶対にあってはなりません。あくまで責められるべきは、雨天ノーゲームというバカバカしい運営を改善しない運営側なのです。
(稲見)





■(匿名)さんより■(2006/07/23)

こんばんわ。 色々と検索していたら2005年8月7日の山梨県大会決勝のコラムを見かけました。

あの大会。本当に納得できないものでした。 去年は、去年で学校で謹慎処分中の生徒を出場していて、山梨県の高野連も知っていたとか。。。結局そのチームが甲子園に行きましたが。。。 こんな不祥事が相次いだのって山梨ぐらいですよね。

今日山梨県高校野球決勝戦が行われました。 2年前と同じカードでした。 怪我の為の中断の最中、思い出されたのは2年前の中断。 監督さんの言葉の中で、「2年前の悔しさを選手が知ってて頑張ってくれたのでは」と。 生徒たちは、素直に甲子園を目指していると思います。 でも、そこに大人が水をさしてはいけないですよね。

明徳、苫小牧が出場辞退。 同じようなことをしていても、出場できる高校、できない高校があるのってどうなんでしょう。。 今年は、波紋が起きませんように・・


■稲見より回答■
――東海大甲府と甲府工、いいライバル関係であって欲しいと思います。憎悪みたいな感情なく、お互いを尊敬して・・・。私は今年は富士学苑に注目していたのですが。

それは良いとして、ご指摘のとおり、高校野球というのは、あっと驚く問題が起こり、大人達がその問題にあっと驚く対応をする、そんなことが毎年のように起こります。 私自身、「高校野球」に青春の多くの時間を割いた者として、高校野球にくだらない指摘をせざるを得なくてよくなる日が1日も早く訪れるように願うばかりです。
(稲見)




■(匿名)さんより■(2006/07/23)

いつも楽しく拝見させてもらってます。

今回の極楽とんぼ山本圭一の不祥事に伴う、欽ちゃんの起こした行動についてご意見お聞かせください。 よろしくお願いします。


■稲見より回答■
――まず、今回のことを理由にして、萩本氏は辞めるべきでもないし、球団も解散すべきでもないと思うので、結論としては良かったと思います。ただ、萩本氏の一連の行動については、以下のような印象を持ちました。

・選手、スタッフ、スポンサーのことを考えずに、ひとりで簡単に(しかも勝手に)解散を決め発表するなんて、無責任とか軽率とか言う以前に、信じられないし理解もできない(本当はもう辞めたい、というのなら理解はできるが)。

・そういう真っ直ぐさが萩本氏の魅力だと評するひとが居るが、組織を率いる者として、実直さと軽率さを混同しては絶対にならない。

・こういう事件だけで解散してしまいそうになる球団のリスク管理の稚拙さ自体が、そもそも組織として大問題である。

・「萩本氏が監督を辞任し、球団は存続する」という選択肢もあった筈だが、そういう選択肢をすっとばして、わずか3日で「監督も辞任しないし、球団も存続する」という結論になったことで、本当に萩本氏に「責任を取りたい」という気持ちがあったのかどうかさえも疑問に思える。

・「萩本氏が監督を辞任し、球団は存続する」という選択肢をとった場合にも、このチームを応援し続ける覚悟が地元ファンやスポンサーにあるのか疑問。それがなくては、「球団として」地域密着できているとは言えない。

・・・まあ、他にも色々ありますが、基本的には皆さんと考えていることは同じだと思います。詳しくは雑誌の連載などで書こうとも思ってますので、興味がございましたらご覧ください。
(稲見)




■五月雨祭さんより■(2006/06/27)

いつも楽しく拝読しております。

色々と参考となる御意見に頷かせられる事が多いのですが今日の文を見て気になる事がございましたので投稿します。

>韓国が歴史的なベスト4進出

これはどういう意味でしょうか?

買収や反則更にはマナーを逸脱した行為を働いたかのサポーターや選手の方々の行動を調べたり見聞きしてきた者としては彼らをスポーツマンとしては認められない気持ちが強いのです。 どちらかと言えば黒歴史に当たるのではないかと思います。 その辺りの事をどうお考えでしょうか?

又私は障害を持つ身で稲見さんの障害者スポーツへの見識の深さを見て質問をしますがかの韓国は2002の共催の折同時に開催される障害者版WCを最後まで拒否し続けて日本のみの単独開催になったと知りましたが本当でしょうか? だとするならライバルというより只の迷惑な隣人です。 大抵のメディアは無理矢理交流とか言ってスポーツさせようとするのでしょう。 その時は完全にスポーツ関係の話に背を向けます。 そういった事が現実にならない様に御願いします。 乱文&長文失礼しました。 こういう意見はネットでしか反映されないのが悔しいです。


■稲見より回答■
――いつも有難うございます。

「歴史的なベスト4」というのは、アジア勢初のベスト4という意味で歴史的、というだけで、特別深い意味はありません。言葉足らずで申し訳ありません。

障害者W杯の検討の推移については詳らかでないのですが、いずれにしても韓国という国家、国民、選手をひとくくりに「迷惑な隣人」とはしたくないと思います。前回のW杯で、審判のおかげでベスト4に進出したのだとしても、そのことをもって「恥ずべき黒歴史」とまでは思いません。現在のサッカーは、ファウルやオフサイドといった全ての判定で正確性が「全く」保証されてませんから。今大会だけ見ても、完璧なジャッジングが全て為されていれば(ハンド、オフサイド、PK、いろいろありましたね)、上位進出の顔ぶれは違ったものになっていたでしょう。タイではトッティのPKを巡って殺人事件があったとか…(本当かどうかは分かりませんが)。
(稲見)




■(匿名)さんより■(2006/06/24)

いつも楽しく読ませてもらっています。毎週しっかりとネタを仕込んでくるところにいつも感心しています。

さて世間ではW杯が盛り上がっているようですね。僕が4年前からずっと思っているのがサッカー解説に出てくるタレント達についてです。彼らがこういう国際大会になると必ず言うのが「伝統国をもっとみてみたい」「伝統国に残ってほしい」という欧州・南米びいきです。僕はこういうことを言われるといつもイラッといます。

おそらく彼らはヨーロッパのトップクラブチームで活躍している有名選手たちをたくさん見たいということなのでしょうが、弱小国にも無名の名選手はいるだろうし、弱小国がチームプレイで強豪国を倒すという楽しみもサッカーにはあると思います(前回大会のような誤審による勝利は勘弁ですが)。

結局彼らはサッカーそのものを見ているのではなくサッカー選手名を見ているだけなんじゃないかと思ってしまいます。 そもそもこの意見を突き詰めていくと日本はW杯に出るなと言っているようなものじゃないでしょうか。 どう思われますか??


■稲見より回答■
――ありがとうございます。コラムを書く時間がなくて困ったことはあっても、ネタが無くて困ったという経験は無いですね。不思議なもので。

ご意見、仰るとおりに思います。せっかくのW杯ですから、多角的に楽しみたいですよね。ただ、とっかかりとして有名選手、強豪国を観てね、っていうのは、それでそれで良いとは思います。私みたいに、やれアメリカを観ろ、やれセルビア・モンテネグロを観ろ、なんて言っているだけだと、すぐW杯が終わってしまいますから・・・。今大会ワースト5のうちの2チームを「注目」と言ってしまったわけで(日本もワースト5に入ってますが)、この場を借りてお詫び申し上げたいと思います…。
(稲見)




■(匿名)さんより■(2006/06/08)

いつもコラムを面白く読ませてもらってます.

一度「スポーツと喫煙」についてご意見を聞かせてもらえばと 思いました.以前テレビ番組でプロ野球選手がバスでの移動のことを 話していたのですが「禁煙車と喫煙車に分かれて移動する」との こと.プロであるスポーツ選手,特に日本ではなんやかんやで一番 メジャーなスポーツ選手にそんなに喫煙者がいることに愕然とした 記憶があります.彼らには肉体として最高のパフォーマンスを出そう という気がないのか,と. そういえば,ダルビッシュも入団前に煙草でおしかりを受けていました (これは法律にも違反しますね).

稲見さんはこのあたりどのようにお考えでしょうか?


■稲見より回答■
――プロスポーツ選手としては、結果を出し、ファンを喜ばせ、それに応じてサラリーを稼げば良いわけですから、その点で、タバコを吸いまくる選手が吸わない選手に優っていれば、責められる理由はないとは思ってます。のんだくれでも、あぶさんみたいに打てばいいわけですから。

ただ、私は典型的な「嫌煙家」でして、ご指摘のとおりに「プロスポーツ選手ならタバコくらい我慢すれば良いのに」と思ってしまうのは、全く同感であります・・・。だいたい日本では、特に高校生なんかは、「タバコを吸うくらいのちょいワル」じゃないとバカにされる(と思っている)ようなバカバカしい風潮も一部あったりして。それが、この野球選手の驚くべき喫煙率にもつながっている気がしますが。

ともあれ、法律と喫煙マナーは守って頂きたいものです。
(稲見)




■スポーツ好き@大学生さんより■(2006/06/02)

稲見さんのブログ、いつも楽しく拝見しています。自分が普段疑問に思っていることを明快な論理で批判されたり、また自分が全く疑問を持っていなかったことにも色々とメスを入れられていて、とてもためになります。

特に、日本のどう考えても頭が悪いとしか思えないマスコミに対しての意見は、僕自身も全面的に賛同します。

以前稲見さんも何度か取り上げておられたように思いますが、最近僕が疑問なのは、海外メディアの報道に対する日本メディアの過剰反応ですね。ワールドカップ開催も近くなってきましたが、先日、親善試合で日本代表がドイツと2−2で引き分けました。そんな時、毎度ワンパターンのように載る記事。「独メディア、高原を絶賛!」「日本は要注意!独メディアが報じる」・・・等々。

こんなどうでもいい記事持ち出してきて、「ドイツも日本に警戒感を持っている!さあ頑張れ日本代表ワーワー」とか言ってるの聞くと情けなく思えてきてしかたないのですが・・(笑) そんな記事って過分なリップサービスも含まれているでしょうし(特に相手監督の談話とか)、せいぜい日本のスポーツ新聞記事くらいの価値だと思うんですが。

現地のちょっとした記事見つけてきては「外国で日本がこんなに取り上げられてるよー」と言わんばかりの記事書くのは本当にやめてもらいたいものです。


■稲見より回答■
――ありがとうございます。ご意見、全く仰る通りに感じています。セルティックの中村選手やヤンキースの松井選手のことを、地元メディアがどう取り上げているかなんて、彼らの活躍を客観的に観れば分かることじゃないですか。海外のリップサービスなんかより、日本のメディアによる客観的な報道こそ、真実が直球で伝わるような気がしますね。

W杯も近づいてきましたが、各国の親善試合のスコアにどうこう騒ぐのもナンセンスに思いますね。それくらいしかネタがない、と言われればそれまでなんですが。これに関しては、日本のメディアだけの傾向ではないですけど。 (稲見)




■Darueさんより■(2006/05/24)

いつも楽しく拝見させて貰っています。少々前の話で恐縮ですが、04/23の「内角球を避けるのも、プロの打者の仕事のうち」を読んで真っ先に思い浮かんだのは、清原選手に次ぐ歴代2位の死球記録を持つ鉄人、衣笠選手のことです。

彼は清原選手と違って、死球に対して怒りを露わにすることはほとんど無い選手でした。以下は衣笠選手自身がインタビューで語っていたことです。死球は2つのミスが重なって起こること。1つは投手の投球ミス、そしてもう1つは打者がそれを避けられなかったミス。だから死球を受けても、俺のミスだ、避けられなくてスマン。そう思って一塁に向ったそうです。


■稲見より回答■
――鉄人と呼ばれる選手ほど、死球に対する考え方が違うのが面白いですね。ご紹介の衣笠選手ももちろん、金本選手なども同様ですよね。金本選手の場合は、死球で怪我をしても活躍したということも凄いのですが、とにかく内角球を避けるのが本当に上手いじゃないですか。そういうところももっと評価されるべきだと思いますし、観ていて「プロだなあ」と感心してしまいます。 (稲見)




■中山さんより■(2006/05/23)

サッカーにもっと細かいデータが欲しいというのは同感ですね。
それが蓄積されれば、私には殆ど意味がある議論が為されているようには思えない3バックvs4バック論争も少しはマシなものになるかも知れませんし。


■稲見より回答■
――いつもありがとうございます。仰るとおり、このジーコジャパン最大の争点(春巻きさんのご指摘のとおり、こんな話題が最大の争点になる国は日本だけでしょうが)は、多くの場合意味のない議論だと思いますね。

全てのゴール系の球技では、システムは状況や相手によって変えるものであって常時万能なものなどないわけで。相手のシステムがどうだとか、小笠原を使うか使わないかとか・・・、そういった種々のパラメータも考えずに単に3バックと4バックを比較していることすらある現状は、ナンセンスですね。細かい統計で場合分けなどをしてはじめて、意味のある議論になるのかも知れません。

ところで、私はテレビゲームをやらないのでハッキリとは言えないのですが、日本のサッカーファンが海外のファンに比べてやたら戦術を話題にすることには、テレビゲームの影響も大きいと思うのですがどうなんでしょうか。聞く前に自分がやってみろと言われそうですが・・・(稲見)




■高森さんより■(2006/05/22)

自分はサッカー好きですが、同じような考えを何となくですがもってました。なんでもかんでも”仮想・・・”なんていうのは馬鹿げているし、もっと詳しい統計があってもよいというのも賛成です。実際仲間内でそういう話しになって、サイトやスポーツ紙で必死に数字を集めたりしますので。Jの中継をみてても、たまに得点以外の細かいデータが出てくると素直に面白いですもんネ。その楽しみ方をヨーロッパのファンにバカにされるんであれば、自分は逆にヨーロッパのファンをバカにしたいですね。それに自分はヨーロッパのファンにバカにされないようにサッカーをみているわけではありません。

戦術や数字に意味はない

と反論をされた方もいたみたいですが、さすがにそれは暴論ですよ(笑)。ヨーロッパや南米のファンや報道で、日本ほど戦術が話題にならないのは、戦術に意味がないからではなく、楽しみ方が違うだけのことだからです。

確かにここ数年のサッカーは世界的に戦術よりも個人個人の力量が目立つ傾向があります。だがそれは戦術が無意味になったことを意味しているわけではありません。むしろ力量が劣るクラブは、戦術で格上を倒さなければならないのは、何も変わってないです。

戦術に意味がないなら監督もいらないということになるし、戦術を口にしている監督や選手や評論家(これは日本だけではないですよ)は無意味な連中であることになる。数字に意味がないのなら,世界中のリーグで”得点王”というタイトルが設定され賞賛されているのは一体なぜだと言うのでしょう。


■稲見より回答■
――少し過激な部分は割愛させていただきましたが、全体的に同感です。ヨーロッパのファンはこうだから日本も、といった消極論法が特にサッカーファンの方に多いんだなと最近よく思います。頭でっかちになってサッカーを観るな、と主張するかたが逆に、「ヨーロッパではこうだから・・・」と頭でっかちになっているわけですよ。もっと楽しみ方は自由で選択肢があっても良いと思うのですが。
(稲見)




■春巻きさんより■(2006/05/21)

5/15のコラム読ませていただきました。反論させていただきます。

あるスーパースターが言ってた。サッカーは「記録に現れない部分がたくさんあるスポーツ、ボールに触れていない時の動きなどは数字としてあらわすことができない。サッカーほどボールを持っていない時の動きが重要なスポーツはない。そういった意味でサッカーは世界一にスポーツだ」

統計なんてとるとサッカーは本当につまらないスポーツになってしまう。得点やアシストなどの数字は確かに大事かもしれませんが、それ以外のプレーで光る選手もいるということを知ってください。イングランドのサッカーを見ると数字を追うことよりボールや選手の動きを追うことの楽しさがわかります。FWでも点を取るという仕事以外を求められるFWもいることを知ってください。

統計を取るなんて虚しい文化は必要ないんです。サッカーだけはそんなスポーツになってほしくないと思っています。統計に表れないプレーだってたくさんあるんです。

ちなみにヨーロッパのサッカー雑誌は選手やチームを紹介する熱い雑誌であることをご存知ですか?本当にチームを愛しているんだなという気がして、なんか嬉しい気分になります。数字だけを追うアメリカスタイルを追うのはやめてください。ヨーロッパから来た方が日本のサッカー雑誌が戦術や数字を羅列しているのを見て馬鹿にされていることを知っていますか?戦術や数字になんの意味もないんです。命を懸けてチームを応援する姿勢が大事なんです。それがサッカーが世界一のスポーツと言われる所以ではないでしょうか。

それとボスニア・ヘルチェゴビナが仮想クロアチアの理由ももっと勉強してください。


■稲見より回答■
――私の稚拙な文章を丹念にお読み下さり、丁寧なご意見までお寄せ下さる方が本当に多くなりまして、最近誠に嬉しく感じております。

さて、ご指摘の件、

 >記録に現れない部分がたくさんあるスポーツ、ボールに触れて
 >いない時の動きなどは数字としてあらわすことができない。

なんてことは、どのスポーツでも当たり前のことです。私はバスケの例を挙げましたが、バスケでもボールに触れていない時の動きこそが非常に重要であることを、否定するひとなど居ません。アメフトなんか、典型ですよ。ほとんどボールに触れないポジションがあるんですから。

 >得点やアシストなどの数字は確かに大事かもしれませんが、それ
 >以外のプレーで光る選手もいるということを知ってください。

全くご指摘のとおりで、だからこそ私は、「得点やアシストだけでなく、もっと細かい統計を」と書いたわけです。 玉田選手の統計の例も、ご指摘の「点を取ることだけがFWの仕事ではない」という例として挙げたものです。サッカーでは、統計的評価対象としては、得点だけが議論されていますが、それだけではFWを評価できないでしょう、と。

統計に表しにくい働きが多いのはどのスポーツでも同じ。それでも、便利な評価の1つの尺度として、統計があっても良い。もっと言えば、サッカーだからこそ、ボールに触れていない動きも数字で表すことを考えたって良いのではないでしょうか。どんな競技でも、統計で表せない貢献があるのは同じで、その部分は統計以外できちんと評価されている。なのに、「サッカーだけは、統計で評価できる部分さえ統計で評価してはいけない」というご意見は、私には説得力がありませんし、理解しかねます。

 >ボスニア・ヘルチェゴビナが仮想クロアチアの理由ももっと勉強してください。

旧ユーゴの各国(スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア・モンテネグロ)も、戦術的にもサッカーのスタイルもバラバラであることが周知のとおり。各国の選手/監督があらゆる国のリーグに散らばってスタイルを確立させていくことが当然となっている昨今、同じ南米だからとか隣の国であるからという理由で、サッカーが似ているという考え方は時代遅れになっています。

 >戦術や数字になんの意味もないんです。

とのご主張ですが、私が挙げた体格的な類似点のほか、戦術や数字以外に、ボスニア・ヘルツェゴビナが仮想クロアチアたる理由は何ですか?(稲見)




■(匿名)さんより■(2006/05/13)

阿保やなぁ稲見サン(爆) そんな屁理屈グダグダと言うならフェラーリの例で充分じゃないw 「イタリアの誇り」は建前、実態は多国籍軍でっせ(爆)
やっぱり欧州系のスポーツは弱いよねw 亜久里だって軌道修正余儀なくされてるじゃないw


■稲見より回答■
――仰るとおりですね(爆)。このコラムは漫画雑誌用に書き下ろしたものなので(3月の段階で、もちろん井出選手が警告を受ける前)、フェラーリより外面的にわかりやすいチームと比較してみました。欧州系のスポーツとひとくくりにするのもなんですが、F1はそういった問題を多く抱えている世界だとつくづく感じます。
(稲見)




■マルティネスさんより■(2006/05/13)

恥ずかしながら最近になってメジャーリーグサッカー(MLS)の存在を知りました。 そこでひとつ疑問に思ったのですが、なぜMLSは東地区と西地区の2リーグ制なんでしょうか?よろしければ2リーグ制にしているメリットとデメリットを教えていただきたいのですが。


■稲見より回答■
――まず、アメリカのスポーツリーグでは、2リーグ又は2カンファレンスでプレーオフ→ファイナルと盛り上がるのがスタンダードになっています。もちろん、アメリカ人はこの形態がシーズン終盤、もっと言えば最後のゲームまで盛り上がると知っているからです。

デメリットとしては、両リーグに収益差があると日本プロ野球のようになりかねないこと。 レギュラーシーズンで圧倒的に強かったチームがけが人などで調子を落としてプレーオフで負けてしまう場合があるといった不公平感も挙げられます。
(稲見)




■原さんより■(2006/05/03)

稲見さんお久しぶりです。

最近野球が面白くありません。というわけで今回は突飛なことを書かせて頂きます。

ペナントレースを96試合にしてほしい!
●同リーグの各チーム対戦回数12回づつ×5チーム、交流戦は今まで同様36試合。 (ほぼ1 リーグのようだが、2リーグが保てれるのでファンも納得)
●消化試合も減ってプレーオフというくだらない制度もなくなるしペナントレース優勝の意義も 復活できる。
●試合数が減ることによって日本シリーズ後、WBCのようなトーナメントをすればWBCの興 奮が国内でも味わえる。もちろんペナントレースや日本シリーズ優勝と違った意味合いの大き な価値を持たせなければいけない。

・・・と実現し得ないようなことを考えてしまうほど野球がつまらない。一試合の重みを感じれなくなると見ていても面白くないからこういうことを考えてしまいます。

今年の巨人は生え抜きの若手が活躍してるし面白い野球して、やたら強いのに視聴率が低い。 昨年の覇者ロッテにしても空席が目立ちます。 巨人が強いだけじゃプロ野球界が盛り上がらない時代になった。 何十年ぶりに優勝したロッテでさえ阪神の暗黒時代の方が観客が多かったような気がする。

これが何を意味するかをもっと考えるべきだと思います。何も無い時代なら野球が何よりも面白い娯楽だったのでしょうが、今の日本はわざわざ野球だけに娯楽を求めなくてもたくさん娯楽ありますよね。テレビの多チャンネル化、パソコン、ゲーム、サッカー・・・。何より野球なんか観る時間や余裕なんてあるかい!って感じで皆忙しいし、他のことで必死。

プロ野球界の規模を縮小しろとは思いませんが、無駄に肥大化するのではなくコンパクトに意味のあるものにしていけばもっとファンが増えるだろうし、またそうしていかないとけけないように思います。私が提案した96試合は無理でしょうが、それくらい今までの常識を覆すほどの改革をしないとプロ野球の未来は無いと思います。


■稲見より回答■
――お久しぶりです。

原さんのご意見は突飛なようでいて、いつも私には実に正論に映ります。全体的に、ご意見と全く同じように感じていまして、昨年のコラムでは「試合数を減らせ」というようなことを書いてしまいました。

常識を覆す改革こそ必要。全く同感です。
(稲見)





■おっさんより■(2006/05/02)

清原選手の死球問題についてですが、確かに清原選手への投球は通常の球でありますし、清原選手のやり方がスポーツマンとして悪いのは当然です。 しかしまあ私としてはここのコラムでは清原選手や一部の選手・投球に限定するのではなく球界全体の死球とその対応についてやルールについてまで言及して欲しかったと思います。 清原悪いというのは某番組の「喝」レベルの話ですし脅しが良くないと当たり前の事をいうだけならフリフリでOKだと思いますし。 僭越な意見すいません。

まあこちらが本題ですが、 新庄選手の襟のことに「少年に悪影響」とか言ってますねえ。私はこういう「少年が・・・」「ファンが・・・」と言いながら的はずれなことをしてくれるのは非常に腹立たしいわけですが。 ルールでOKが出て、安全性にも問題が無いのにいたずらに問題視するのはいかがなものかと。 結局はマナーの問題でダメと言うことになりましたが。 それなら各選手のネックレス等や選手の暴行の方がよっぽど少年に悪影響だって言うのは球界のタブーなんですかねw 個人的に襟を出すのは微妙だなw・・・というのは別にして。


■稲見より回答■
――いえ、僭越だなんてとんでもございません。当たり前の話をコラムにしたのは、単に、この当たり前のことを、どのメディアもジャーナリストもおおっぴらには言わないだろうなと思ったからです。実際、予想どおりでしたが。

さて、新庄選手の件、ご意見には全く同感です。あくまで個人的な嗜好ですが、私は子供のころから野球選手のネックレスも嫌いだし、ピアスも好きではないし、乱闘を余儀なきものとする風潮も嫌いでした。襟を出すのも、微妙だなと…。
(稲見)





■松本さんより■(2006/04/25)

さて清原(敢えて呼び捨てにします)の死球の件で複数の見方があるようですがルールと一般常識そして野球と言うゲームを総合的に考えて見てみたいと思います、まずルール上は打者に投球を当てると死球です、しかし投球が打者に当たると言う状態は数え切れない程のパターンが存在します、大きく分けると明らかに死球のパターン・投手が故意に当てるパターン・打者が巧妙に当たりに行くパターンに分けられると考えます。

勝負ごとですからルールを巧妙に利用することもあるでしょうし、運悪く?死球で怪我をすることもあるでしょう。前者は高校野球でもまれに見うけられるものです、実際に私が高校在学時に母校の監督が良く指示していました、実際に当たりに行くのでは無く内角よりに立ち体を後方によける動作をすることにより死球の確率は上がります。プロでは元広島の達川が有名なところですが彼の人間性でしょうか?審判も見ている私達も納得してしまうことがしばしば、技ありと言うところでしょう。 近代野球は危険球との判断がなされた時点で投手は退場となりますが、この判断も解釈が難しいところです(審判の主観に左右されます)むやみに頭付近への投球であるからと危険球との判断は早計であると言えるでしょう?

さて、このように考えた上で今回の清原の死球ですが、いささかガッカリすると同時に腹立たしさを覚えます。(呼び捨てにした理由です。) 検証しますがダルビッシュの投球は打者である清原の体に当たる範囲内には行ってはいませんでした、それどころか普通の状態では当たる筈も無いコースであり見逃せばボールです、つまり誰がどのように見ても打者が打ちに行きスイングを止めきらず当たったと言うのが正当な解釈でしょう。それほど何事もないボールでした。

余計な説明ですがあのプレーがもし高校野球であったなら死球では無くボールワンでしょう?(避けていない)それどころかバットがもう少し廻っていたならストライクを取られていても不思議ではないプレーです、事実を言いますが清原という選手はこの程度なのかなと言うことです、非常に情けないことと感じたのは私だけでしょうか?恥の上塗りで翌日にあのような発言をし日本の野球界のトッププレーヤーとしての自分の地位を自ら奈落の底へ落としてしまったと言う私個人の見解です。(本人は投手への脅しで言っているのでしょうが。)

もともと清原は死球が多いと言われてはいますが、このような死球が多くあることは事実でありその責任は投手にはないと感じています、裏を返せば内角球がもともと苦手であると言うことの事実があり、本人も認識した上で投げさせたくない為にこのようなスタイルが確率されたと言う背景も有るのかな?とも思います。

つまり内角を攻めさせない・攻められたくない為の演技(逃げずに当たる)がこのような状態で確率されていると言えるのかもしれません。 今回の発言を聴き清原もこれで終わりかなと、残念ですが情けなさと同時に時代の移り変わりを感じざる終えません。 最後に長島のボールの避け方は天才的であり動物的でした、頭への危険球がありながらそれを避け何事も無かったように次の瞬間に見せる打撃は清原とは雲泥の違いでしょう。スターと凡人の違いが何であるかがそこに見えて来るようです。


■稲見より回答■
――いつも有難うございます。

野球というスポーツは一体どういう競技なのか、そして今回清原選手が受けた死球はどのようなものであったか、冷静に分析されたこのご意見は、多くの方に読んで考えて頂きたい内容だと思います。

私も、頭部にビュンビュン何球も投げ込まれて憤っているというならまだ分かりますが、やはり「あの内角球はもう投げるな」と言うのはミットモナさすぎると思いますし、あの発言をした危険な打者をそのまま打席に立たせたNPBとオリックス球団には、相当の問題があると思っています。
(稲見)





■konkonさんより■(2006/04/25)

いつも拝見させていただいております。Jリーグの他地区プレーオフ制度について賛成されていましたが、私は別の考えを持っております。

現行のルールでは、ACLはリーグ戦優勝チームとカップ戦(天皇杯)優勝チームのみが参加となっています。つまり、この2チーム以外はJリーグ以外での公式戦をする機会がないのです。

ここで、提案は、東アジア(特に中国、韓国のリーグ)でのCLみたいなものをつくり、2−5位ぐらいまでが出場できるようにしてはどうかということです。 常々日本選手はアウェイでの戦いが不足していることが指摘されてきましたが、その機会を増やすことで解消することが少しでもできるのではないかと思います。 また、韓国や中国が相手なら、先方は負けられない戦いということで望んでくる可能性が高く、本当にえげつないホームアドバンテージを行ってくる可能性もあります。

こういうことで鍛えられていくことにより、もっと強く慣れるのではないのでしょうか。日本の中でちまちまプレーオフをするより、少しでも多く海外クラブと戦うほうがサッカーの場合は有益な気がします。 普段のJリーグの順位争いの中でこのようなCL出場を意識させる→現行全く知られていないに等しいACLの認知度もあがり、代表だけでなくクラブが日本を代表して戦うことに誇りを持つ→サポーターが増える。このような展開にならないでしょうか。


■稲見より回答■
――もちろん、基本的に賛成です。アウェイゲームの経験を積めること、ACLの認識度アップはもちろんのこと、リーグ優勝の他に東アジアCL(仮称)出場権というバーが増えて、国内リーグ自体の面白さと選手のモチベーションが最後まで多くのクラブに持続する利点が何と言っても良いですね。

欧州CLに対するUEFAカップのような位置付けで、ACLに対して東アジアCL(仮称)を開催したときに、果たしてどれくらい権威と注目を得られるのかという問題はありそうです(ACLでさえイマイチなのに)。また、やり方にもよりますが、多地区プレーオフ制よりもゲーム数自体が増えてしまいそうな点もハードルになりそう。でも、始めてみる価値はありそうです。
(稲見)





■(匿名)さんより■(2006/04/24)

「野球のWBC」と「アメフトW杯」を、世界の「野球界におけるメジャーリーグ(MLB)の位置」と「世界のアメフト界におけるNFLの地位」を、同列に論じることは端的に間違っていると思います。別の読者さんの例えも適切ではないと思う。

 球技スポーツの国際的普及度の類型

【イ】全世界的に普及した球技スポーツ
 サッカーだけだと稲見サンは癪でしょうから、バスケも入れておきましょう。

【ロ】国際的に普及しているが、内実は地域的な偏りがある球技スポーツ。
 ラグビーフットボール、クリケット、アイスホッケーなど。
 →→→野球はここに入る。

【ハ】特定の一部の国でのみ行われる球技スポーツ
 オーストラリアンフットボール、軟式テニス、ゲーリックフットボール、ペサパッロなど。
 →→→そして、アメリカンフットボール。

 野球とアメフトじゃ、ま〜〜〜ったく違うんですよ。


■稲見より回答■
――さて、普及範囲の広狭に差がある(【ロ】と【ハ】)から同列に論じられないというのはごもっともです。ですが、だとすると、このご意見に続けてご自身が論じておられた(あまりに礼儀に欠いた文章だったので割愛しました。ご本人も公開はして欲しくないでしょう)、サッカーW杯と野球WBCの同列比較も成り立たない(【イ】と【ロ】)ことになります。

まがりなりにも、アメフトはアメリカ以外に全く普及していないわけではない。アメリカだけでやっていて他の国では全く競技人口が無い、というならご意見に賛同致しますが、日本でも多くのプレイヤーが居るわけです(居ないと思っておられるようですが)。であるならば、国際的に偏って普及している野球をアメフトとのアナロジーで論じても良いのではないでしょうか。

ところで、サッカーW杯の第1回はどういう形で始まり、それに対してWBCはどういう大会であるのかに触れずに、「第1回サッカーW杯」と「第1回野球WBC」を単純比較する向きが、日本では多すぎる気がします。 アメリカ(MLB)を除く日本や韓国やキューバが「第1回WBC」を立ち上げて開催した、というのなら、第1回WBCと第1回サッカーW杯を同列に論じても良いかと思いますが。第2回WBCが開催されるかどうかは、アメリカ1国にかかっているんですよ(アメリカを礼賛してるわけではないですよ、念のため)?
(稲見)





■(匿名)さんより■(2006/04/23)

上手く打ち易い球を投げてもらうようにする事もプロの打者の仕事。上手く打者に怪我をしてもらう事もプロの投手の仕事。自分の技術は誰にも教え無いのもプロの仕事。上手く相手のサインを盗むのもプロの仕事だよ。柔らかいボールで打ちにくいゾーンに投げやすくする事を主張するなんてプロ打者として失格だ。脅しは日本プロ野球選手としての技術の一つ。 投手も然り、投手は怪我をしてくれと内角に投げる、主軸が居なくなればそのチームは調子を落とす。1ベースですむのだから。不可抗力何て誰も言えない。順位で自分の給料が数千万単位で変わるのだからそれぐらい日常茶飯事。スポーツじゃなくて飯の種なのだから。技術を見せ合う場じゃない。ずっと昔からプロ野球はそんなもの。


■稲見より回答■
――そのような考え方をなさる方も居るでしょうね。しかし私は、「飯の種だから相手を脅しても良い」だなんて、全く思いません。戦国武将が戦っているのではない。これは、「プロスポーツリーグ」なのですから。ちなみに、「投手は怪我をしてくれと内角に投げる」わけではありません。ダルビッシュ投手が清原選手に投じたあの一球がそのようなものには到底思えませんし、あの球で怪我をしてくれるのは清原選手くらいでしょう。
(稲見)





■Deltaさんより■(2006/04/23)

稲見さま、はじめまして。いつもコラムなど、興味深く拝読しております。  4/23の「内角球を避けるのも、プロの打者の仕事のうち」についてです。

私も清原の発言を聞いて驚きました。ベース盤からかなり離れて立っているとはいえ、避けられない死球には見えませんものね。その上で「倒したい」とは何事でしょうか・・・。 ズレータ選手の凶行にも失望しましたし(個人的に彼をもう見たくありません)、 私はグラウンドで殴りあいは絶対にやめてもらいたいです。

ただ、「プロなら技術で避けるべき」とおっしゃる点では稲見さんとは意見が異なります。 野球で内角攻めは当然ですし、プロの投手でも投球ミスは当然あります。 ファンの立場から見て、ルールですから、なるべくお互い割り切るべきだと思います。 しかし、コントロールミスを犯した方が「避けてくれよ」と言うのは、 いかがなものでしょうか? 私は「避けろと言う前に当てるなよ」と思います。 野球経験が未熟なのですが、「当てない技術」の方が基本にあるべきではないでしょうか? 投手の方が自らの技術不足を、より反省すべきだと思うのですが。


■稲見より回答■
――はじめまして。ご丁寧なご意見を投稿いただきまして誠にありがとうございます。

仰るとおりですね。私も異論はありません。どんなボールでも避けてくれよ、というのは暴論です。しかしですよ、当たったのが「あの」ボールだったので…(あの程度の内角球をもう絶対投げるななんて、無茶ですよ)。いずれにしても、「避けるべき」というよりは、「避ける練習はすべき」「できるだけ避ける技術も磨くべき」ということですね。プロとして。

投手は機械ではありません。プロの打者でも空振りするように、プロの投手でもコントロールミスはするのですから、打者はそれを承知の上で自らの職場に就くべきだ、ということを単に言いたかったのです。従って、避ける練習をするなどの努力を怠りながら、当てられたらそいつを倒す、というのは野球選手としてはあまりにも呆れる発言だと、私は感じました。
(稲見)





■Deltaさんより■(2006/04/23)

  「Jリーグにプレーオフを」についてです。これに賛同は難しいですね。協会側からならともかく、ファンの立場からは。

理由の1つは、2ステージ制から1ステージ制への変更が、おおむね歓迎されたことです。2ステージの方が中だるみはないでしょう。しかし、長い1シーズンを戦い抜いた結果の優勝・降格・昇格、これを支持する人が多い模様です。「中だるみ」という指摘はファンには少ないです。

その他の理由は、指摘されている「サッカーファンの保守性」。まさにこれに尽きます。 今の1リーグ制を変える必要性があると感じている人は、ほとんどいないでしょう。 確かにシーズン終盤になると、中位クラブは賞金くらいしか「狙い」がなくなることは Jリーグファンも問題視していますが、観戦していて試合内容に「中だるみ」はあまりないと感じます。

最後に、身勝手極まりない話ですが、私のような遠方ファンにとっては、リーグが分割されると生観戦できる試合が1年に2〜3試合になってしまいそうで、これも心配です(笑)


■稲見より回答■
――またまた有難うございます。

まず、「前後期制」と「多地区プレーオフ」とは議論がちょっと違うと思うんですよね。これまでは、後期に勝った勢いで年間チャンピオンを制してしまうケースがあったりして、シーズン通しての成績をきちんと評価できる1ステージ制が受け入れられた。多地区制にしても、シーズン通しての成績が評価されるわけですから、それはそれで矛盾はないかと思うのですが。

中だるみに関しても、私は「気付いてないだけ」のような気がしますね。サッカーリーグはこういうものだと。昨年たまたま、最終節まで5チームに優勝の可能性が残る大混戦になってくれた、というのもあるでしょう。「これで良い」というのではなく、「もっと面白くなるはずだ」という考え方があっても良いと思うのですが、あまり聞こえてこないですね。サッカー界では。放映権料をNHKに値切られたりしているにもかかわらず。多分、ご指摘のように、1リーグ制を変える必要があると感じている人は殆ど居ないでしょう(だからこそ提案を書いてみたのですが)。

ですが、私は日記やコラムに書いたように、「選手のモチベーション」というのも大事だと思ってます。実際、Jリーグでは「負けられない」という厳しい試合をあまり経験できないと言って、将来有望な選手が厳しさを求めて海外に流れる。そして結局、ヨーロッパでもベンチを暖める。これで日本サッカーのレベルが上がるわけがないわけで。なぜこれが問題視されないのか、というほうが不思議です。

シーズンの中だるみももちろんなのですが、「大事なゲームを経験できない」という方がもっと問題だと思うわけです。ワールドカップの予選も上位で通過してしまったり、奇跡的な勝利が代表戦で続いてしまって、そういった問題視の姿勢が本来あるべき状況よりも少なすぎるような気がしますが、どうでしょうか?

そういう意味では、ワールドカップ本番では、日本は少し痛い目にあった方が良いだろう、と思ったりもしてます。
(稲見)





■中山さんより■(2006/04/18)

  1リーグ6チームのプロ野球ですら、以前からペナント中盤以降の中だるみが言われてきたわけで。この問題が存在していることは確かですが、地区分けしてもJリーグの中だるみは解消しないと思いますよ。


■稲見より回答■
――1チームが140試合以上を戦うプロ野球を持ち出すのは無理があるような気がします。「なかだるみ感」は、試合数に対して指数関数的に相関しますので。

たとえば、NFLが「32チーム、地区分けなし、プレーオフ無し」というJリーグ型構造になったら、どうなると思いますか?

もちろん、戦力均衡・利益分配の仕組みがない状況では(特に人口密度が偏っている日本では)、単純に地区制を導入すると地区間の戦力差が出てしまう弊害があるので、注意が必要なのですが。
(稲見)




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